町に出よう

2018年09月19日 | Weblog


秋晴れの爽やかな、と言うと良くある平凡な日のように思われるのですが、実際はどれくらいあるのでしょうか。単なる想像でしか今は言うことが出来ないのですが、それほどは沢山は無いような気がします。

  

ブルーベリーの木が、根っこからどんどん木が出てきて茂り過ぎたので、思い切って剪定しました。茂り過ぎると実の生り具合が悪くなります。

汗をかきました。日差しは比較的強かったです。

  

こういう小さな生き物は、田舎には至る所にたくさん見られます。それぞれ、共存ということでしょうか。

増えすぎる虫は蛙が食べてくれているようです。それでも増えますけどね。互いに食べるのは、自然がそのようにセットしたものですから、そのルールは崩せないでしょうね。

崩れたら、互いに生きて行くことが出来ずに絶滅するでしょう。

  

本来から言えば、人間だけが繁栄するというのは危険かと思います。中間の理屈は省略して結論を急ぐと、最後には人間自身も滅びることになりますからね。

ですが、やっぱり人間だけが繁栄しているでしょうかね。グローバルな目で見るほどの様々な専門知識が無いので分かりませんが。

神様は、危険を感じてノアの方舟を作ったのでしょうからね。

  
   机の中に入れっぱなしで忘れてしまっていたレコーダー

理屈っぽくなってしまいました。とにかく、特に夏は小さな生き物が数限りなく身の回りで活動しています。

中学生の頃、初めてテープレコーダーを見ました。先生が重いテープレコーダーを持ってきて動かしていました。

友だちの誰かが手を出したところ、叩かれましたね。貴重な大切なものだったのでしょう。

今は、簡単に軽くて小っちゃなレコーダーが買えます。ポケットに入り、驚くほど長い時間の録音ができます。

  

自分の話す癖を知ろうと思って、胸のポケットに忍ばせて、仕事で一時間録音してみたところ、いやはやもう冷や汗ものでした。

いやその、癖ばっかりで、語尾のところがはっきり聞こえなかったり、訛りが汚いだみ声と共に・・・・。

でも、ずいぶん勉強になりましたね。此処は、こう言うより、こんな風に言った方がみんなに訴えることが出来たかも、などと反省の材料になりました。

  

用事があり、知人の家に行ったのですが、すんなりとは帰ることが出来ませんでした。

先方では、毎日家で仕事をしているせいか、他人(ひと)との交流がしたかったのでしょうね。私も同様ですが、やっぱり無言で何時間も仕事をして過ごすのは退屈します。

退屈ばかりではなくて、精神的にもやっぱり良くないのでしょうね。自然におしゃべりをしたいという気持ちが起こるのは当たり前ですね。精神的に健康な証拠だと思います。

で、私もその仲間ですから、長時間にわたっておしゃべりをしてしまいました。帰り道はすっきりした感じでした。

  

『 書を捨てよ町に出よう 』 という本がありましたっけ。内容はともかく、タイトルでけでもその言葉は効果が十分にありそうですね。

あ~~~~。っと背伸びして町に出て気張らししましょう。という気持ちは大切ですね。

日本男子は沈黙して腕組みし青空を見つめて考えよう。と、まあそれも良いかも知れませんが・・・・・。