眠くてねむくてしょうがない時があるのですが、これからもっと寒くなると言うのに、体は春を意識し始まっているのでしょうか。
なぜ、そんなことを考えるのか?と聞かれると、「 春眠暁を覚えず 」 と言う言葉がありますので・・・・。
「 あハハハハ、まさか 」 なんて言われるかも知れませんが、思い出したものですから。
春にはまだ早すぎますね。
眠くてねむくて、録画をみているともうだめです。いつの間にか夢の世界に走って行ってしまいます。
近くに、群れてたくさんの鴉が来ています。なんか、気持ち悪いです。人影を見ても逃げていかず飛び回っていて、電線や高い木の枝に止まっては飛び出し、のくり返しをやっています。
鴉の気持ちはわかりませんからね。何か下に子猫でもいるのでしょうか。そしたら、子猫はもう危ないですからね。どうも、鴉は凶暴なので好きになれません。
スズメとかハクセキレイとかジョウビタキとか、そういう小鳥は害をなさず小っちゃくて、群れて生活していても可愛い感じがして危険という感じはけっしてしませんからね。
西日がはねかえって、ま銀色のビニールのように見えました
午前中は水戸駅の近くに行っていたのですが、いつものように賑わいも、なにも変わることがありません。
いまはもう、一月末に近いですから、正月の景色はまったく消えて、ごく普通の街並みになっています。ただ、歩いている人は寒そうでしたね。
相変わらず、ホテルのレストランは混んでいました。活気がありましたよ。食事をするときにはみんな笑顔ですね。
大木に這い上がっている、ヘビのように見える蔦
家に帰ってきてみると、相変わらず乾いた田舎の風景がただ静かに広がっているだけです。
でも、ホッとしますね。賑わいと閑散。この落差は大きいですが、長いあいだ此処で育ち、暮らしていますので、やっぱり賑やかな所は少し離れた所にあれば良い、という気持ちが強いです。
人はさまざまです。街の中にしか住むことが出来ないと、はっきり言う人もいました。隣は他人でも、何となくいざとなれば支え合えるという気持ちもあるのでしょうか。
単なる想像にしか過ぎませんが。
好みはあっても、なかなか上手く説明できないこともありますね。
駄歌
夕されて鴉もいつか消え去りぬ 里の静けさすべて覆ひぬ
日が落ちて寒さの津波家を呑み 森を呑み込み人を呑み
今日もまたこれと言いて何もなく 暮らせることのありがたさかな
あがいても結局はまた同じかも それでもチャレンジしたくなる不思議
あれさ あれ どこかで聞いたあの曲を 思い出せない昨日も今日も