歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「水ぽっい匂い」と「虫切り」 亀有~赤羽 その2

2006年12月11日 | 東京の風景
昨日の続きで~す。

「謎の空き地」を通り過ぎて、またも「空き地?」です。これは「駐車場」」何ですけどね。密集したなかの「空間」、「空き地」とか「原っぱ」が好きなんです。何か惹かれるんです。町工場の前の空き地、子供の頃を想い出す風景です。


それで、左の隅に歩いている「白いスカート」の女性が写ってますよね。体型はチョッピリ太めで大柄、スカートに合わせて「白いピンヒール」を履いています。

歩く姿が「水ぽっい」匂い。お勤め帰りの雰囲気で、思わず『ご苦労さん』と呟き「シャッターを押しました。


これは質屋さんの「ショーウインドー」です。所謂「質流れ品」

何故か、質流れ品には昔から「麻雀パイ」が定番商品ですね。最近見かけませんね。懐かしくなり、暫く眺めていました。

子供の頃、我が家には質屋さんから貰った「手ぬぐい」がありました。両親はお世話になっていたようです。同じ金貸しでも、「サラ金」よりも「健全で真面目」な商売ですね。


西新井大師の手前辺りから環七通りに出ました。疲れてきたのです。車ではよく通ったのですが、車と徒歩では大違い、亀有から赤羽は思っていたより距離がありました。

これは、大師駅そばの「バス停」です。

渡線橋の歩道から撮ってしまいました。「痩せて細身の方」と「痩せてなくて、細身でない方」、別々に居られれば「何でもない」ことですが、並んで立っていると・・・・・・ねェ。「お二方」すいませんでした。 
お二方ともに「素敵」な方でした。


鹿浜の公園入り口にありました。

「犬と戯れる少女」といった銅像なんですが、何故か歩道を占拠しているのです。
塀の中は広い公園なんですよ! 公園の中に入れてやればいいのにねぇ。 
わざわざ歩道で遊ばなくても・・・・・・そう思ったのであります。

「そう思いながら」歩いていたら、空中高く「そびえ立つ看板」

『ナンジャコリャ』、「鹿浜虫し切り」の看板文字を見つめてしまいました。「虫切り」っていったい何だ?

看板の下に何があるのか、環七通りを逸れ、路地に入りました。辿りついたのがこの、「由緒云われ」のありそうな「瓦葺きの門」

門には「家伝鹿浜虫切り」の看板。「家伝」の文字から「そうか!」閃いたのです「虫切り」の「虫」とは、あの「疳の虫」の「虫だァ」。

昔云われていましたよねェ。幼児の頃の「夜泣き」とか「ひきつけ」などの神経症のことを「疳の虫」という「虫」が原因で発症する何てねぇ。

疳の虫を治療する所だつたのです。だから看板に「ミドリ十字」のマークがあったのです。しかし、どんな事するんでしょうね。拝んだり、御祓いしたり、「加持祈祷」何て言葉を思い出しました。

「疳の虫治療します」何て看板は出せないのでしょうね。「医師法違反」何てことになりそうですしね。あくまでも「虫切り」であり、民間伝承の一つということですね。看板の「ミドリ十字」には複雑な背景がありそうな、そんな気がしました。


荒川を渡り、やっと赤羽駅前に辿り着きました。昼飯は「奮発」して、松屋の「豚テキ定食」を食べました。


調理時間が長い、肉が堅い、失敗でした。カレーにすれば良かった。


昼飯を食べ終わり、朝が早かったので、直ぐに赤羽駅から電車に乗り帰宅しました。

本日は書く時間がいつもと違い、これから朝飯です。

朝飯後は「芋たこなんきん」を見てからまた寝よ!  



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北綾瀬の「大出俊」 亀有~赤羽 その1

2006年12月10日 | 東京の風景
以前、亀有から赤羽まで歩い事があります。
その日は「ちょっとした用事」があり、亀有駅には朝の7時過ぎに到着しました。

用事を済ませて、環七通りの内側を路地伝いに、赤羽を目指して歩き始めました。赤羽は東京を離れる前に、40数年暮らしていた町なのです。


「東和」の西友の近くに来たところで、「オハヨー!」と大きな声が聞こえました。小学生の集合場所のようです。「マック」の右側に建つ「西友」の外壁に反射して、「爽やかな響き」が増幅して耳に飛び込んできたのです。

退職して暫く、この時間に外にいる事はありませんでした。職場や学校に向かう朝の風景がとても新鮮に感じました。

朝はみんな「いろいろと忙しい時間」何ですよねェ~・・・・・・。それに引き替え、この私は「のんびり」「ゆっくり」「気ままに」「ぶらぶら」している訳です。

『すまない! みなさんご苦労さん』と小さく「呟き」、仕事に出かける「振り」をしながら、足早にその場を立ち去りました。 


北綾瀬駅の高架をくぐると大きな公園があり、一休みしょうと思い、「どれでも100円」の自販機でコーヒーを買い中に入りました。入って直ぐの東屋の下にこの「おじさん」がいたのです。


「紺のダブルでノーネクタイ。えんじ色のシャツの襟を上着の上に」出し、一見もしや?「その筋」の雰囲気。

前を通ると、なにやら「独り言」をしゃべっているのです。「チョット危ない人」のようで、顔を前に向け「眼」だけを一瞬動かして、表情を確認したのです。

そうなんです。その時、直ぐに「あの人に似ている」と思いました。
そう。50代以上人ならば知っている、昔しあった「日本社会党」の「国会止め男」と云われた「大出俊さん」です。

「国会爆弾男」は「楢崎弥之助さん」です。55年体制のあの頃は、与党と野党、お互いに役割分担をして、時折、緊迫感を「演出」してみせたりして、長閑かな時代でした。

二人とも、委員会質問が妙に「芝居」がかっていましたね。それはそれで「受けた」時代でした。「止め男」って云うのも「何だかネェ~」・・・・・・今思うと笑えますね。そう言えば「大出俊」って同姓同名の俳優がいましたね。


話しがそれました。そのおじさんです。
顔付き、ダブルのスーツ、渋い声、体型が似ているのです。通り過ぎた先のベンチに座り、彼のスキを見てシャッターを押しました。

もう少し勇気と好奇心があれば、あの「北綾瀬の大出俊先生」にインタビューができ、面白いコメントが貰えたかもしれません。残念でした。 



コーヒーを飲み終え一息付いて、公園を後にしました。
綾瀬川の上を首都高速三郷線が走り、遠くに「東京拘置所」望む橋を渡って直ぐ右手に、この空き地がありました。野球場が4面ほどできる広さです。


空き地の中に「民家風」の古い建物があり、側に止めた軽ワゴン車に積まれていた「ダンボール箱」を、中年の男が一人、「家の中に」運び入れているのです。倉庫代わりに使用しているようです。

それにしても、広大な空き地の中にポツンと建つ古い一軒家、何か「怪しい匂い」のする不思議な空間です。

うん。これは「怪人二十面相」の隠れ家だよ「明智君!」ナンチャッテね。 

一回で終わりそうになくなりました、今日はここまでとします。


今夜は「小朝」の本でも布団の中で読も~うッと 

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「荷風」とカレーとグリーンピース

2006年12月09日 | 東京の風景
よく食べましたね。金欠のときは「ラーメンにライス大盛り」、懐の暖かい時は「ラーメンにカツ丼」でした。

「ニラレバ定食」、「餃子定食」、「肉野菜定食」、「半チャン・ラーメン」・・・・・・。



当時、「カレーライス」、「カツ丼」、「親子丼」、「チャーハン」には「グリーンピース」がトッピングされていた記憶があります。

カレーとカツ丼には、間違いなく「グリーンピース」がのっていました。これは、日本そば屋でも、中華そば屋でも「共通」の決まりでした。

中華では、今でも「天津丼」や「チャーハン」には「彩り」として良く使われています。カレーライスのグリーンピースは、最近はお目にかからなくなりました。

グリーンピースって云う豆は「単独」出て来ることはないですね。常に脇役で渋い役回りです。

上の看板にあるカレーにもグリーンピースはのっていませんでした。この店は東武伊勢崎線の「東向島」の駅前の店なんです。



いいでしょ。この「ラーメン屋」の雰囲気が。何処にでもある、懐かしい佇まい。それが、「東向島駅前」とくれば、完璧ですね。『何が!?』と突っ込まれそうですが、私には完璧なんですね。

東向島は所謂「遊郭」があったところです。その昔は「玉ノ井」といったのです。
「玉ノ井」とくれば「滝田ゆう」の世界ですね。もう少し遡って永井荷風の「墨東奇譚」の世界です。

当時を偲ぶ風景は、今はどこにもありません。
中華そば屋の「風景」と「匂い」から、そんな時代の面影を想像して見たりして・・・・・・・。

唯一残っている物がありました。これです!



この、()の中に「旧玉ノ井」とあります。「東武鉄道株式会社」の粋なはからいです。 

()の中の「玉ノ井」って「ビミョウー」ですね。玉ノ井「らしい」のかもしれません。



兎に角です。中華そば屋のある風景が好きです。今は滅多に食べることはなくなりました。


この店は駅から少し離れた所にあります。「哀愁」漂う店です。

「変色した看板」下に取り付けられた「回転巻き取り式天幕」、店の前に並ぶ「買い物かご付き自転車」と植木鉢、二階に干してある「洗濯物」、みんな「哀愁」ですね。そう。店名の「来集軒」がいいです。

今度行ったら、絶対に「カレーライス」を食べてみよう。
きっと「グリーンピース」がのっている気がするのです。


さてと、明日は久ぶりに「カツ丼」を作ってみるか。  




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続き「三丁目の夕日」と「ミゼットの嘘」

2006年12月08日 | 映画の話し
少しひつこいようですが、「ミゼット」の話しなんです。
「ミゼット」にはいろいろな思いがあり、いろいろなものに繋がっているのです。

「ミゼット」と云えば、「やりくりアパート」なのです。放送日が何曜日だったのかは忘れましたが、関西系のテレビ番組です。

「大村 崑」と「佐々十郎」のコンビが出演していました。大村混は「コンチャン」と呼ばれ大変な人気でした。その番組でやっていたのが「ミゼット」の「生コマーシャル」です。だから私は「ミゼット」には詳しいのです。


【コンチャンはこんな商売もやっていたのですね】

二人がアパートの玄関前に置かれた、「ピカピカのミゼット」の前で、手を「ハの字」に広げて「ミゼット」と云うシーンは今でも覚えています。

「コンチャン」と云えば、「とんま天狗」に、「番頭はんと丁稚どん」ですね。
とんま天狗は「大塚製薬」が提供していました。とんま天狗の名前が「オロナインナンコウ」だったと思いす。今でも売っているあの「オロナイン軟膏」そのまんまです。

「番頭はんと丁稚どん」は「七ふく製薬」の提供でした。こちらは「商品名」が思い浮かびません。やはり露骨に商品名を主役名にした「大塚製薬」が正しかった?

「番頭はん・・・」には、あの「芦屋雁の助」に「小雁」「雁平」の3兄弟。それにお釜っぽい「茶川一郎」が出演していました。

「コンチャン」の『10円もろた、10円もろた・・・』」のギャグ? と「雁の助」の『コン松~。 チョットコイ!』の声が今でも耳に残っています。

チョットコイと云われると、遠くに離れている丁稚のコン松(コンチャン)が、番頭の「雁の助」に引き寄せられてしまうのです。

当時は、いや今でもそうですね。お笑いは関西が強かったですね。
「コンチャン」と云えば、「藤田まこと」ですね。

「藤田まこと」と「大村混」が当時の若手コメディアンのトップ争いをしていました。「藤田まこと」と云えば「てなもんや三度笠」ですね。

「てなもんや三度笠」と云えば、これも「生コマーシャル」の『俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー』ですね。当時はみんな「生コマーシャル」でした。

「てなもんや」と「番頭はん」は舞台中継で、「やりくり」はスタジオ中継でした。

「てなもんや」では「藤田まこと」の「時次郎」と一緒に旅をする、「珍念」という「小坊主」役の「白木みのる」が出演していました。「珍念」を始めの頃は「凄い子役」だと思っていました。

しかし、私にとって「てなもんや」で一番強烈だったのは、あの「財津一郎」です。これまで見たことない「強烈なキャラクター」でした。

財津演じる「謎の浪人」が、オバーアクションと、ハイトーンで『~してちょうだい!』『キビシィー!』と叫ぶギャグは新鮮で強烈でした。この一言が「いつ出るか、いつ出るか」と期待して見ていました。

「三丁目の夕日」の話しからは、少し逸れましたが、昭和30年代のあ頃は、戦争が終わり、新しい物語の始まりの時代でした。

そしていま、その物語は終わり、次の物語が始まる訳ですが、あまり楽しくない物語りが始まりそう・・・・・・いや、少し前から始まっていますね。

焼酎飲んで、楽しかった昔を想い・・・・・・寝るとするか 


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「三丁目の夕日」と「ミゼットの嘘」

2006年12月07日 | 映画の話し
先日テレビで放送された「三丁目の夕日」を、録画したビデオで「少し」だけ見ました。

冒頭に出てくる子供3人が「ゴム動力の模型飛行機」を飛ばして遊ぶシーンで、「ゴム」を巻くカットが出てきましたが、飛行機の持ち方が逆です。あんな持ち方でゴムは巻きません。非常に不自然でした。

そして、最も不自然と云うか、「嘘」と云うか・・・・・・。明らかに、監督も知っている筈と思いますけどね。

画面にに建設中の「東京タワー」が映しだされます。東京タワーは1957年6月に建設が始まり、1958年10月に完成しています。

それが、それなのにです。
青森から集団就職してきた女の子を、上野の駅に迎えに来た雇い主の社長が、乗ってきたのが「丸ハンドル」の「ダイハツ・ミゼット」なのです。

これはあり得ないのです。「丸ハンドルのミゼット」は1959年9月の発売です。ビデオを観ていておかしいと思い調べました。

「バイク型ハンドル」の「ミゼット」でも、1957年8月の発売です。
「丸ハンドルのミゼット」しか見つからないので、しかたなく撮影に使用したのでしょうが、それでもおかしいです。

画面に出て来た「ミゼット」は「錆びだらけ」の「ポンコツ」でした。そんなことはありえないのです。当時、車は大切に扱われていました。

画面から観る限り「10年」以上使われたようにみえます。それに、画面全体から受ける印象は、風景が古ぼけ、錆だらけに描かれているのです。

何かの思い違いなのか、意識的な演出なのか、当時を知る私には「不自然」に見えます。錆びた「看板」、「古ぼけた町並み」、おかしいですよ「山崎貴監督」

山崎監督(1964生)にとっては、この時代が「遠い過去」なのでしょうか?
私にとっては、つい昨日の事なのです。いろいろな風景を覚えています。

画面全体の「色調」をおとして、「昔」を演出しているようなので、「ポンコツのミゼット」も、演出なのでしょうが、あの時代は「安っぽくて」、そして、もっと「明るかった」ですよ。

看板も錆びていません。現在から見れば、町並みの「様式」は古いですが、当時は「新しかった」のですから。

作品は、あの時代を知らず、未来に夢をも持てない、「若い世代」に向けられているのでしょう。あの頃を、美しいものとして語る人達がいますからね。いつの時代でも年寄りにとっては、過去は懐かしく、美しいものですら。

あの頃の街は汚かったけれど、みんな元気だけはありました。今は街も綺麗になりましたが、元気がなくなりましたね。


【丸型ハンドルのミゼット】

若い世代が、過去を美しいものとして、憧れるのは良くない傾向と思います。
年寄りが、懐かしく語るのが「過去」です。

ただ、あの昭和30年代までが、「人間の速度」と「時代の速度」の限界点であった・・・・・・・かもしれないですね。

今の速度は、人間の、動物としての「生理」を越えてきています。

 さぁ。ゆっくりお風呂に入って寝~よッと。  


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真面目な人が「戦争」を支持する?

2006年12月06日 | 世間話し
真面目というか、生真面目というか、何事にも真剣に取り組み、人生の目的とか、生きる価値とか、考え過ぎる人って怖いですね。

一度走り出すと止まらなくなり、自分だけが正しいと思い込み、意見の異なる人に対しては、その存在すら許す事が出来なくなってしまったりします。

争いを起し先頭に立つのは、これらの「純粋」な人達です。

これまでは国家間の争いが戦争であったが、現在の世界は「テロ」が人類最大の敵であり「民主主義国家」はすべて「テロ」との戦争に参加しなければ、「テロ」と同じく「敵」と見なす。と拳を振り上げた「ブッシュ」さん。

「ブッシュさん」のバックで選挙応援しているのが、キリスト教の「原理主義者」達です。戦争の理由は別な所にあったとしても、ブッシュさんの叫んだ「テロとの闘い」に共感し支援したのは彼らです。 彼らは「真面目」で「真剣」で「純粋」なんです。

何が「テロ」で、何が「レジスタンス」なのか?
911は「テロ」で、「アルカイダ」が犯人?
「アルカイダ」を支援しているのが、「アフガン」と「イラクのフセイン」?

世界の敵、平和の敵は「戦争で叩き潰す」「平和の為の戦争」、「正義は我にあり」

「そうだ! もっともだ!」と云って、我が「コイズミ」君も、一緒になってくっついて行きました。

そして、今、「アフガン」も「イラク」も「内戦状態」です。
反米闘争の先頭に立ち、武器を持って闘っているのは「イスラム原理主義」の人達です。

原理主義は、「真面目」で「純粋」で「真剣」です。それが、厄介なのです。困るのです。「拗れて」、「捻れて」、憎しみを増幅してしまうのです。

ホントにどうにかなりませんかね? 神様、仏様。
ねぇ。ホントにどうしたらいいの。宗教が出来て何千年も経つというのに、人類の争いはより残酷になるばかりですよ。

宗教家は考えないのですかねェ、何千年経っても解決しないのは、自分達の教えは「もしかして、どこか間違っていた」と・・・・・・。ねェ、そうでしょみなさん。

宗教という範囲には、あらゆる思想も入れてです。あらゆる思想も宗教です。右も左も「ひっくるめて」です。あらゆる宗教は「真面目」です。

やはり。これは、物事「真面目」に考え、「真面目」に行動しても、解決の可能性はない「証拠」ではないですか?

昔、私の青春時代にもいたのです。真面目過ぎる人達が、少しでも異なる考え方を許せず、闘う相手を間違えて、味方同士で命の奪い合いをしていました。

昔といえば、もっと昔、第二次大戦の末期に「真面目な青年達」が「特別攻撃隊」として「自爆攻撃」に「参加」しました。美しくも悲しい出来事でした。

彼らは「純粋」で「美しい」のです。だから危険なのです。「美しい」ことは危険です。

彼らも含めて、真面目な人達は「目的」を忘れて、自分達の目的を達成する為の「行為」に「酔いしれて」しまうのです。我こそが「正義」だと「叫んで」、目的のためならどんな「残酷」な「手段」も正当化してしまうのです。

「真面目」は「美しく」、危ないのです。

本日は、「真面目」はよくないと、「真面目」に云ってしまった。
これが「真面目」のこわいところ?


「不真面目」が人類を救うのです。 

目をつり上げず。拳を振り上げず。みっともなく。好い加減に。カッコ悪く。ダラダラと、生きてみませんか!


今日は、「ちから」が入り過ぎて「危険」な領域に踏み込んでしまったようだ。

  焼酎飲んで、テレビ見て寝よッと!  





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「ハムカツ」か? 「ハムフライ」か?そして中身はソーセージで公取委の見解は?

2006年12月05日 | 食事の話し

「ハム」を薄くスライスして、小麦粉を付け、溶き卵に浸し、パン粉を付け、油で揚げたものは、「ハムカツ」なのか、それとも「ハムフライ」なのか、現在にいたるまで、その呼称問題に決着がついていない。


【銀座の銚子屋はハムカツ派 コロッケ・ハムカツともに130円高い】


最高裁も、公正取引委員会も、この問題に関しては沈黙している。両者共に内部で密かに「カツ派」と「フライ派」の暗闘が続いているのかもしれない。

ここまで書いて、重大な「疑惑」を見逃していた。両派ともに明らかなる「材料詐称疑惑」が存在するのだ。

冒頭に「ハム」を薄くスライスしてと書いたが、材料は「ハム」ではなく「ソーセージ」がほとんどである。この材料詐称について、公正取引委員会の見解は一度も公にされていないのだ。


【銀座の先、月島はハムフライ派 コロッケ74円 ハムフライ53円庶民的】


何故か? 「ソーセージ」の方が旨い。そして、価格に大きな差がない、「ハム」も「ソーセージ」も「材料」が同一であり、違いは「加工方法」だけであり、世間一般に周知した事実として、認知しているからであろう。

最初はハムを使用していたが、たまたま「ソーセージ」使って揚げたら旨かったので、そのまま「ハム」としたたのではと推測する。それに「ソーセージカツ・フライ」では語呂が悪い。


それで、話は戻って「カツ」か「フライ」であるが、広辞苑では、

「フライ」・・・・・・ふつう肉・魚介・野菜などに小麦粉・溶き卵・パン粉の衣をつけて揚げた料理をいう。

「トンカツ」・・・・・・豚肉のカツレツ。

かなりあっさりとした説明です。岩波文化には馴染まない分野ですかね。
「フライ」の中で「肉・・・牛、ブタ、鳥」のフライを「カツレツ」と云う。そんなところですかね。

ビーフカツレツ、ポークカツレツ、チキンカツレツ。「カツレツ」では「滑舌」が悪いので、「カツ」とだけ云われるようになり、「ポークカツ」では「重量感」ないので「豚カツ」と云われるようになった。  久ぶりの「スルドイ推理!」

それで、「カツ」と「フライ」のどちらが正しいかの話しでしたね。

ここでの「キーポイント」が、先ほどの「重量感」なんです。牛肉、豚肉、はやはり「重量感」があります。総菜界の「ヘビー級」です。鶏肉は少し下がって「ライトヘビー級」ですね。

ここで「ハム派」の総菜屋さんは、牛肉、豚肉、鶏肉に対して、豚肉の加工品に「カツ」の名称を付けるには抵抗感があり、「ハム」という食品の「軽量感」から「ハムフライ」と付けたものと推測します。  これもスルドイ!

よって、「ハムフライ派」の店では、コロッケの価格よりも「ハムフライ」は下にあります。

しかし、「フライ派」である月島の総菜屋の「レバーフライ」の価格設定は変です。コロッケよりも高く、ハムの2倍もするのです。私としては、いや世間的評価においてもレバーはハムの下です。

話しがそれてしまった。
「カツ派」は単純に、ハムは「豚肉」の「加工食品」であるとして、「ハムカツ」としたのでしょう。しかし、我々の世代にとって「肉」と云う言葉は「重い」のです。軽々しく、純粋な肉と「加工食品」の「ハム」とは同列に扱って貰いたくないのです。

ハムは「鳥肉」の「ライトヘビー級」よりも軽い、「ミドル級」です。レバーは更に下の「ウエルター級」です。

結論がでました。
「ハム」を薄くスライスして、小麦粉を付け、溶き卵に浸し、パン粉を付け、油で揚げたものは、「ハムフライ」が正しい「呼称」と決定しました。

これにより、今後は「ハムフライ」と統一するように「総菜業界」に対して強く働きかけていく所存です。  だれが 


こんな事を書いていたら、むかし食べた「クジラカツ」が食べたくなってしまった。クジラは鳥肉よりも上で「クルーザー級」です。

最近、クジラ肉が安くなったらしいので「鯨カツ」を作ろう 


それでは、鯨カツの夢を見るの楽しみに!  


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落語と「笑点」そして金馬の「居酒屋」

2006年12月04日 | 昔の思い出
私が、落語に出会ったのは、小学校の五年生の時でした。

ある日、夕食後に、父親が知り合いの家に車で出かけることになり、無理やり付いていった時のことです。当時は車は未だ珍しく、乗るのが嬉しく誇らしく思っていた頃です。

後年、母親から教えられたのですが、父親が出かけた目的は、友人と共同でやっていた、自動車修理工場の資金繰りの為だったそうです。
 
知り合いの家は、今は高島平団地になっている少し先の、赤塚の山の中で、当時はドングリ山と呼んでいた所です。子供の足で家から1時間ほどの距離です。

私は、暗い車内で一人ラジオを聞いて父親を待っていました。そのとき流れていたのが、居酒屋で、店の小僧と客とのやり取りを、面白おかしく演じた話しでした。

世の中に、こんな面白い物が有るんだと、興奮したのを今でもはっきりと憶えています。周りは山で、車や人も通らない真っ暗な車内、話しの情景が目に浮かび、落語を聴くにはいい条件でした。

それが三代目三遊亭金馬の十八番「居酒屋」と言う事が判ったのは、かなり後の事です。父親の修理工場はそれから間もなくして倒産しまた。


その後は、ラジオで落語を聞くようになり、一度だけ「学級会?」か何かで、話しの「まくら」の部分をやった事が「しょっぱい記憶」として残っています。

その後は、テレビ放送が始まり、「赤胴鈴之助、矢車剣之助、少年ジェット」を見るようになり、落語とはは暫く遠ざかりました。

「赤胴鈴之助」



「矢車剣之助」


「少年ジェット」

その後、20代になり落語に出会ったのは「笑点」でした。
最初の司会者が「立川談志」、「前田武彦」、「南伸介」と続き、「三遊亭円楽」に変わった頃から、少しずつ「笑点」は見なくなりました。円楽になってから明らかにつまらなくなりました。

しかし、その頃から、落語の「レコード」・「テープ」を買って聴くようになりました。レコードは金馬師匠の一枚だけで、残りはカセットです。

このテープも30代の後半頃から聴かなくなってしまいました。
そして、最近になって「笑点」をまた見るようになったのです。懐かしさと、昔の面白さが復活した気がするのです。

そうです。司会の「円楽」が居なくなったからです。
円楽が嫌いなのです。

86年に「円生」の直弟子の「円丈師匠」が出した、円生一門の内幕本「御乱心」を読んでから、私の「円楽嫌い」は確固たる「正しき」「確信」となりました。

それと、新メンバーの「春風亭昇太」は3年ほど前から、好きな落語家の一人でした。

「笑点」を楽しみにしています。 「昇太」ガンバレ! 


いまいち風邪が抜けない  早く寝ます 





 
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「紅白」なんか見ないぞ!!

2006年12月03日 | その他
この頃、大晦日の「紅白」を見ていません。チョコット様子を覗く程度です。
ニュースだったのか? ワイドショーだったのか? まぁ、どっちでもいいけどね。

初出場の歌手が勢揃いして、記者会見? 記者発表? まァ、どっちでもいいけど、やってましたね。

並んだ「彼ら」の名前もまったく知りません。「彼ら」の歌もまったく知りません。自信を持って云えます。 

『♪聞いたことねぇ~!♪見たことねぇ~!♪まったくぜんぜん判らねぇ~!』 (吉幾三こんな歌、唄ってなかった?) 

兎に角です。いつまでも、過去の栄光を求る態度を改めなさい。そろそろ「紅白」の「幕」をおろしたら如何ですか。
それが一番です。あんな「歌番組」に「予算と人」をかけるのは「無駄」です。

去年は、総合司会に、「あの」「みのもんた」を起用したのには驚きました。もう完全にこれは「不祥事」です。

この年は、別の不祥事で会長が交代しましたが、不祥事に始まり不祥事に終わった記念すべき「紅白」でした。

「みの」を起用すれば、視聴率が上がり、「紅白」が甦ると思ったのでしょうか?
そう思ったから、起用したのでしょうけどね。納得行かない。隠された「陰謀」の匂いがする。そんなことないか 

「みの」は、「みの流」の紅白にしようとしていましたが、昼の「お嬢さん」相手の番組ではないのです、「紅白歌合戦」は腐っても「紅白」です。

「みの」の「力量」で変えられると思う何て、勘違いもいいとこです。
「紅白」は「歌合戦」なんです。司会は脇役に徹するべきで、目立ってはいけません。

まぁ、「みの」を起用するときは、NHKも相当「煽てた」と思いますが、終わった後で『自分流にもっとやりたかった』と「みの」が云ったそうですけどね。

これから何年か経って、あの時が「みの」の人気の「頂点」だったと云われるでしよう。きっと。間違いない。彼にとって「記念」すべき「紅白」になるでしょう。

去年も、チョコット覗いただけですけどね。「みの」が嫌いなので余計なことを書いてしまった。 


「紅白歌合戦」を「再生」するための「提案」です。前言を訂正します。  
「幕」は下ろさなくてもいいです。 

時代は高齢化社会です。「紅白」は「50歳以上」の視聴者にターゲットを絞って制作して下さい。この世代までは「栄光」の「紅白」を知っている世代です。

それ以外の視聴者は無視しましょう。どうせ若い奴らは、大晦日のこんな時間にテレビなど見ていませんから。

徹底的に「昔」のスタイルで、昔の「歌手」による、昔の「歌」を放送しましょう。

演歌OK!  グループサウンズOK!  
懐かしのフォークOK! 

特に、「ザ・ピーナッツ ♪情熱の花」


「ちあきなおみ ♪黄昏のビギン 」


「藤圭子 ♪夢は夜ひらく」


この3人を口説き落として出演させてほしい。お願いします。NHKの総力を挙げて取り組んで貰いたい。


これでいけば、「最低」でも「視聴率」は「60%」間違いないです。保証しますよ! 海老沢さん。じゃなくて橋本さん。わたしの保証は間違いないですから。  

私はNHKが好きです。受信料も「口座引き落とし」でキチンと払っております。
民放より優れた番組がたくさんあります。これからも「受信料」で運営されるべきです。

後は、放送法を変えて、政権与党が番組内容に干渉出来ない「システム」を作るべきだと思っています。

「紅白歌合戦」は大好きでした。でも、今の「紅白」では見ません。チョコット覗くだけです。

私の提案が実現することを願っています。
よろしく頼むよ、橋本さん。今の会長は「橋本」さんだったよね?


今夜は冷えます。風呂に入って直ぐに寝よッと。 

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哀愁の町に漂う「煎餅」の香り

2006年12月02日 | 食事の話し
西新井大師は哀愁の町なんです。
お大師様の「本殿」に佇む二人のお婆ちゃん、この光景が「哀愁」です。そう思いませんか? まァ。私がそう思えばそれでいいのです。


そして、哀愁の町には誰が何と云っても「お煎餅」の香りが似合うのです。


どうです。この哀愁のある店の佇まい。


そして、車の付いた「移動式陳列ケース」の時代を感じさせる外観。
少し見にくいのですが、下の鉄枠の塗装の変色と、剥げて露出した箇所の赤茶けた錆び具合が「哀愁」ですね。
となりの丸いガラス瓶にも「哀愁」があります。

「お煎餅屋」という業種そのものに「哀愁」がありそうです。醤油の焼けた「香ばしい」匂いに哀愁が隠れています。

この写真は、都電三ノ輪橋駅前のお煎餅屋さんです。看板にある「草加」のあとの4文字で「せんべい」と読ます。不思議な文字です。


商品ケースの台が「石積み模様」がとてもいい。より「哀愁感」が増します。ここにも丸いガラス瓶がありますね。


これは根岸のお煎餅屋さんです。「根岸」という「文字」そして、「根岸」という言葉の響きに「哀愁」があります。


お煎餅の香りは、醤油の焼けた匂いですね、日本人には堪りませんね。以前、旅行の途中で、トイレを借りたスーパーの駐車場で、「焼き団子」を移動式の屋台で売っていて、お腹は空いて居なかったのに、匂いに釣られて買ってしまったことがあります。

この匂いの系列に、焼き鳥、鰻の蒲焼きがあります。「甘辛いタレ」の焦げた匂いも堪らないです。

そして、この系列の端っこにいるのが「大学いも」です。少なくなりました。揚げたサツマイモに、水飴の中に砂糖と醤油を混ぜた「タレ」をコーティングしたのが大学いもです。

※大学イモは大学の近所で売り出して、当たったので「大学イモ」らしいです。その大学は東京大学とも云われています。


一時、大学いもの「チェーン店」を見かけたのですが、いつの間にか消えてしまったようです。大学いもには「チェーン店」形式で全国展開するほどの「需要」はないでしょう。

やはり、「大学いも」は「ひっそり」と「地道」に、「細々」とが似合います。これも「哀愁」ですね。


店の佇まいも、「大学いも」商うのにぴったりです。場所も台東区「竜泉」です。近くに「一葉記念館」があります。場所にも「哀愁」があります。


一葉記念館で思い出しました。最近、立て替えられて「新規開店?」したそうなので、近いうちに様子を見てこようっと。


これは、立て替え工事が始まった頃の、今はなき「旧一葉記念館」です。貴重になりました。

やっと「風邪」が直り、平熱に戻りました。 

今晩は、クスリじゃなくて「焼酎」 飲んで寝よッ   

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