今日は朝からプリンタの不調を解消するのに躍起になっておりました。安物買いの銭失い、ではないのです。言うなれば貧すれば窮す(ちょっと違うか)。要は詰め替えインクを多い目に入れすぎたために起こった不具合。インクを入れすぎるとタンクの内圧が高くなり過ぎ、インクが充分すぎるほど残っているのに、まるでインク切れみたいに色が出なくなる現象が生じてしまったのです。まるでインク切れみたいに見えるのがこの問題の厄介なところで、切れたと思って継ぎ足すと余計症状を悪化させてしまいます。解消する方法は、インクを吸い出して内圧を下げ、あとはきれいに印刷できるようになるまでひたすらベタうちすること。A4相当の面積をフォトショなどで詰まった色に合わせて単色に塗りつぶし、適当な紙に印刷させるのです。結局これを4回通して、ようやく元に戻りました。そんな苦労も乗り越えて、コミックシティ大阪56の準備もそろそろ終盤です。表表紙の印刷を何とか終わり、裏表紙の印刷もあと少しで終わり。残すは帯の印刷のみですので、ゆっくり製本する時間がとれそうです。
さて、北海道沖の漁船転覆事故は、イスラエルのコンテナ船による衝突・あて逃げで決着が付いたようですね。目撃者0の事件だったのに、船体に残された傷や衝撃で付着した塗料が決め手で交もあっさり犯人が割れるとは、正直驚きました。亡くなられた方やご遺族の方々には本当にお気の毒ではありますが、船会社の会長からは早くも自社の責任を認めて素直に謝罪されたとのニュースには、ほっとするものがありました。この上はその言葉通り、誠心誠意を尽くして責任を全うしてもらいたいものです。
ただ、その記事を載せた新聞が、別の欄に、「あれだけの傷を残す衝突をして、コンテナ船が気づかないはずがない」と非難の言葉が載っていたのにはちょっと引っかかりました。漁船は19トン、コンテナ船は4万トン超。その巨船に乗組員はわずか20名足らずと聞きます。もちろん私も4万トンの船が19トンの船に衝突したときの衝撃がどれほど響くのかは知りませんが、単純に2000分の1の大きさと言うと、私個人で言えば30gの物体とぶつかるのに等しいという計算になります。それくらいだと、状況や当たり所次第ではほとんど気づかないかも知れません。実際にはそんな単純なはずはないでしょうけど、4万トンと言えばかつての戦艦に匹敵する巨船です。目的がまるで違うとは言え、かつて千人以上が乗り組んで動かしていたのと同規模の船に、たった20人ちょっとしか乗っていないと言うことを想像すると、船の船長が気づかなかった、と言うのがあながちウソではないのではないか、と言う気もしてくるのです。それを憤りの余りとは言え、天下の公器が何の裏付けもなく「気づかないはずがない」などと断言して相手を非難するのはいかがなものでしょうか? 第一、本当に気づかなかったのかどうか、実証もできないのに船長を責めて何が得られると言うのでしょう? それともこの記者は4万トンの船で19トンの船にぶつかったらブリッジなどでそれがどのように感じ取れるのか、具体的な経験やデータをもっているとでも言うのでしょうか? そんな検証もできない幼稚な決めつけよりも、どうしてこのような事故が起こったのか、この種の事故を未然に防ぐにはどうしたらいいのか、そう言うことを掘り下げて問題提起をして、悲惨な事故を風化させないようにするのが活字の役割だと思うのですが、犯人が割れた途端、次の新聞にはどこにもこの事件の記事は載っておりませんでした。朝日の愚劣極まる甘甘自己批判などは論外ですが、他の新聞にしてもこんな調子では鼻白んでしまいます。ニュースの一次ソースがネットにも流れる今日、こんな事ではもう新聞という活字文化もそう長い事はないなと思ってしまいました。
さて、北海道沖の漁船転覆事故は、イスラエルのコンテナ船による衝突・あて逃げで決着が付いたようですね。目撃者0の事件だったのに、船体に残された傷や衝撃で付着した塗料が決め手で交もあっさり犯人が割れるとは、正直驚きました。亡くなられた方やご遺族の方々には本当にお気の毒ではありますが、船会社の会長からは早くも自社の責任を認めて素直に謝罪されたとのニュースには、ほっとするものがありました。この上はその言葉通り、誠心誠意を尽くして責任を全うしてもらいたいものです。
ただ、その記事を載せた新聞が、別の欄に、「あれだけの傷を残す衝突をして、コンテナ船が気づかないはずがない」と非難の言葉が載っていたのにはちょっと引っかかりました。漁船は19トン、コンテナ船は4万トン超。その巨船に乗組員はわずか20名足らずと聞きます。もちろん私も4万トンの船が19トンの船に衝突したときの衝撃がどれほど響くのかは知りませんが、単純に2000分の1の大きさと言うと、私個人で言えば30gの物体とぶつかるのに等しいという計算になります。それくらいだと、状況や当たり所次第ではほとんど気づかないかも知れません。実際にはそんな単純なはずはないでしょうけど、4万トンと言えばかつての戦艦に匹敵する巨船です。目的がまるで違うとは言え、かつて千人以上が乗り組んで動かしていたのと同規模の船に、たった20人ちょっとしか乗っていないと言うことを想像すると、船の船長が気づかなかった、と言うのがあながちウソではないのではないか、と言う気もしてくるのです。それを憤りの余りとは言え、天下の公器が何の裏付けもなく「気づかないはずがない」などと断言して相手を非難するのはいかがなものでしょうか? 第一、本当に気づかなかったのかどうか、実証もできないのに船長を責めて何が得られると言うのでしょう? それともこの記者は4万トンの船で19トンの船にぶつかったらブリッジなどでそれがどのように感じ取れるのか、具体的な経験やデータをもっているとでも言うのでしょうか? そんな検証もできない幼稚な決めつけよりも、どうしてこのような事故が起こったのか、この種の事故を未然に防ぐにはどうしたらいいのか、そう言うことを掘り下げて問題提起をして、悲惨な事故を風化させないようにするのが活字の役割だと思うのですが、犯人が割れた途端、次の新聞にはどこにもこの事件の記事は載っておりませんでした。朝日の愚劣極まる甘甘自己批判などは論外ですが、他の新聞にしてもこんな調子では鼻白んでしまいます。ニュースの一次ソースがネットにも流れる今日、こんな事ではもう新聞という活字文化もそう長い事はないなと思ってしまいました。