かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

戦艦陸奥の艦橋が発見されました!

2005-10-31 22:13:51 | Weblog
 戦艦陸奥の残骸が発見されたそうです。陸奥と言うのは日本初の40センチ主砲を搭載し、列国を瞠目ならしめた一隻で、同型艦の長門ととともに、「鉄の浮かべる城」の代表として、日本国民にも親しまれた戦艦です。排水量4万トンの超弩級戦艦でしたが、昭和18年6月に、瀬戸内海の柱島泊地で謎の火薬庫爆発を起こし、極短時間で沈んでしまいました。その艦体は、現在までにおよそ四分の三が引き上げられておりましたが、残りは透明度の低い水が邪魔をして、これまで発見できずにいたそうです。それを、超音波探査の新しい方式を採用した調査で、その大部がようやく発見されたとのこと。発見された部分は、艦橋を中心とするかなり大きなものだそうですが、わずかに残った艦底部などを見ても、当時の爆発の凄まじさが伺え、大半の乗組員が逃げる間もなく波間に消えたというのも頷けます。波の静かな瀬戸内海の、水深40mという比較的浅いところですから、歴史の遺産として、また鎮魂のためにも是非何とか引き上げて欲しいものですが、やはり資金面や大きな艦体をそれ以上損なうことなく引き上げる技術なども、難しいのかも知れません。それでも、我が国の領海の中で、沈んでいる場所や状況まではっきりと判っている数少ないものなのですから、何とか諸問題をクリアしてくれることを願いたいです。どうでもいい事にお金を使う余裕があるなら、税金を投じて陸奥の残りを引き上げてもいいんじゃないかと思います。個人的には艦体の痛みが少ない艦を、戦艦でも空母でも巡洋艦でもよいので何とか引き上げ、復元して、横須賀の三笠の隣にでも浮かべ、歴史記念艦として見せて欲しいと思っています。例えば一般水兵の居住スペースとか、大砲や爆弾、魚雷でやられた後とかもそのまま再現できれば、嘘臭い写真を並べた空虚な平和記念館などよりも、よほど歴史の真実を伝える一助になるのではないか、と、思います。靖国神社の遊就館や戦艦三笠など、それぞれ確かに見応えがありますが、欧米列強に伍して万里の波濤を乗り越えた世界有数の海軍国日本のかつての姿を忍ぶものが何もないと言うのは、色々な意味で片手落ちのような気がしてなりません。

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