かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

是非死刑の暁には、その脳組織やDNA情報を保存して、後世に役立てていただきたい。

2006-01-17 21:35:52 | Weblog
いわゆる「宮崎事件」の上告審判決は、上告棄却、死刑判決確定で幕を閉じました。ここに至るまで17年。この化け物を飼うのにどれだけ国費が費やされたのか知りませんけど、何故にこんなにもかかるのか本当に理解に苦しみます。そしてそれだけ時間を潰しても、結局その心の闇は解けずじまいと言うのですから、一体何をするのにかくも時間がかかったのか、全くもって不思議と言うよりありません。我々が本当に必要とするのは、この愚かな男の罪をどう裁くかではなく、何が一人の男をかくも愚かしい行為に駆り立てたのか、という原因の究明にあったのではないでしょうか。それが出来ていれば、その後も相次ぐ信じがたい事件の数々を、ひょっとしたら未然に回避する機会が生まれていたかも知れないと思うのです。でも、司法にはそんな事を解明する能力はもちろんありませんし、一審で全く異なる3種類の精神鑑定結果が提出されているのをみていると、心理学にもそれを期待するのは難しい気がいたします。
 一方、マスコミの報道をみてますと、これまで強化されてきたいわゆるロリコンモノに対する規制がどれだけ事件の発生抑止に効果を上げてきたかという検証もなしに、最近のネット上の野放し状態や、アニメ、コミックス、ゲームといった世界で繰り広げられる妄想がさも原因であるかのごとく書き連ねて、「ヲタク文化」その物に対する攻撃に終始している感があります。今や一大産業に数え上げられるほどになっている一つの風潮が犯罪を惹起するというなら、もっともっと同種の犯罪がちまたに溢れて、万引きやひったくり並に日常茶飯事となり、報道価値も無くなるような事態になっていても不思議はないと思うのですが、いまだに「ヲタク」=異常という図式で物事を眺め、その代表的存在として、宮崎勤を祭り上げることで、思考停止しているようです。
 私は再三これまでも書いていますように、いわゆる「ヲタク」とこれら犯罪者達との間には、生物学的に厳然たる違いが存在するに違いないと考えています。そしてそれは、多分脳の問題か、遺伝的な根拠があるように想像されるのです。実際の所、私は脳生理学の専門家ではないですし、人間の遺伝子に関する研究者でもありませんから、この主張は全く私個人の妄想に過ぎません。でも、例えば同性愛者と異性愛者の間で、脳の構造に明らかな違いがあるとかいうような説を読んだりいたしますと、あながち単なる妄想でもないのではないか、という気がいたします。そしてそれは、一つのパーソナリティに全然違う鑑定結果を出してしまう心理学よりも、余程リアリティのある、信のおける話のように思えるのです。
 司法には本当に残念なことに、宮崎の怪物性の根元などには何の興味もないのでしょうし、仮に興味があったとしても、それを解明しうる知識も技術も能力もありません。しかしながら、本当にその種の犯罪を根絶したいという意志があるなら、そこを解明しなければ根絶できるはずがないのです。その第一歩として、是非かの死刑囚の脳組織などを、後世の研究者のために保存すべきです。そして、心理学や精神分析学だけに任せるのではなく、脳科学や遺伝子学といった分野の研究者も糾合し、早急に異常犯罪の根本的原因を究明するための研究プロジェクトを立ち上げるべきだと思います。我々に必要なのは、マスコミが安易に取り上げる、根拠希薄なのに何となくそれらしく聞こえる「物語」では無いはずです。客観的なデータに基づく説得力ある「仮説」とその証明こそ、本当に必要とされるのではないのでしょうか?

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