昼間は相変わらず苛烈なお日様が元気ですが、最近は夜ともなるとなんとなく涼しく感じられるようになってきましたのは、やはり田舎のよさというものでしょうか。山一つ越えた向こうにある大阪では20日連続の熱帯夜が続いているそうですし、盆地の気候で本来自然に暑いはずの我が県よりも、都会の生み出す人工的な熱量の方が圧倒的に影響力があるのかもしれません。
さて、昨日は飛行機の事故があって、個人的にも興味だけは非常にあるお話だったのでそれ一辺倒になってしまいましたが、昨日はもう一つ、重要なニュースがありました。東京農大で卵子だけからマウスの子供を誕生させることに成功したのが今から3年前のこと。その当時は何とかできた、というレベルで、成長するのは生まれた子供のわずか0.5%に過ぎないものでした。それが、遺伝子操作技術の改良により、卵子のみで受精を経ずに生まれたマウスの赤ちゃんのうち、30%が成体に成長させることに成功したのだそうです。3割というと野球の打率ならともかくそれほど大きな数字には見えなくもないですが、体外受精の成功率に近い値だそうで、実用的な水準(何の『実用』なんでしょう?)と見られるということです。ううむ、ついに処女懐胎が神話の世界から現実の世界になって来ましたか。この技術の先には、もう男の存在などなくても女性が自由に子供を作ることができる世界が現れてくるかもしれません。ギリシャ神話に出てくる伝説の女性戦闘集団も、そんな技術があればわざわざ男をさらってきて後嗣を作らなくてもまさに自給自足でやっていけるようになるわけです。
現実に、この技術の可能性として、いわゆる同性愛の女性カップルが自らの子供を生み出すことができるとか言う話があるそうで、それはそれでまあ意味のある技術開発ということもできるでしょう。もっとも、この種の話にはいつも生命倫理の問題が、という一言が決まり文句になっていて、私などは、そんな大層な問題なのだろうか? といつも疑問に思うのですが、クローンにせよ、この技術にせよ(というか、これもクローンの一種になるのでしょうか?)、倫理問題の壁が立ちはだかってきます。ううむ、遺伝子操作にしてもそうですが、どうして生命そのものを対象にした研究という物に対して、マスコミを窓口にしたいわゆる世間一般の方々はブレーキをかけたがるのでしょうね。私などは、たとえば「生命」とは結局なんなのか、非常に興味があって、こういったさまざまな研究の先にその一端が垣間見えるのではないか、といつもわくわくして見ていますし、実用的には、たとえば遺伝子をコーディネートできるようにならないか、半ば本気でそんな未来の到来を待ち望んでいるのですが、なかなかそんな未来はやってきてくれそうにはないようです。
さて、昨日は飛行機の事故があって、個人的にも興味だけは非常にあるお話だったのでそれ一辺倒になってしまいましたが、昨日はもう一つ、重要なニュースがありました。東京農大で卵子だけからマウスの子供を誕生させることに成功したのが今から3年前のこと。その当時は何とかできた、というレベルで、成長するのは生まれた子供のわずか0.5%に過ぎないものでした。それが、遺伝子操作技術の改良により、卵子のみで受精を経ずに生まれたマウスの赤ちゃんのうち、30%が成体に成長させることに成功したのだそうです。3割というと野球の打率ならともかくそれほど大きな数字には見えなくもないですが、体外受精の成功率に近い値だそうで、実用的な水準(何の『実用』なんでしょう?)と見られるということです。ううむ、ついに処女懐胎が神話の世界から現実の世界になって来ましたか。この技術の先には、もう男の存在などなくても女性が自由に子供を作ることができる世界が現れてくるかもしれません。ギリシャ神話に出てくる伝説の女性戦闘集団も、そんな技術があればわざわざ男をさらってきて後嗣を作らなくてもまさに自給自足でやっていけるようになるわけです。
現実に、この技術の可能性として、いわゆる同性愛の女性カップルが自らの子供を生み出すことができるとか言う話があるそうで、それはそれでまあ意味のある技術開発ということもできるでしょう。もっとも、この種の話にはいつも生命倫理の問題が、という一言が決まり文句になっていて、私などは、そんな大層な問題なのだろうか? といつも疑問に思うのですが、クローンにせよ、この技術にせよ(というか、これもクローンの一種になるのでしょうか?)、倫理問題の壁が立ちはだかってきます。ううむ、遺伝子操作にしてもそうですが、どうして生命そのものを対象にした研究という物に対して、マスコミを窓口にしたいわゆる世間一般の方々はブレーキをかけたがるのでしょうね。私などは、たとえば「生命」とは結局なんなのか、非常に興味があって、こういったさまざまな研究の先にその一端が垣間見えるのではないか、といつもわくわくして見ていますし、実用的には、たとえば遺伝子をコーディネートできるようにならないか、半ば本気でそんな未来の到来を待ち望んでいるのですが、なかなかそんな未来はやってきてくれそうにはないようです。