今日は上空に強い喚起が入り、雷を伴った局地的な大雨のおそれあり、ということだったのでそれなりに警戒していたのですが、結局うちの方はまるで降らないまま、雲ばかり分厚く流れていって蒸し暑いだけの、何か損をしたような一日でした。雨を警戒して作業も大して進めることが出来ないままでしたし、局地的な予報がもっと正確に出るような時代に、早くなって欲しいものです。
さて、昨日に続いて連載小説「向日葵の姉妹達」をアップいたしました。今日の分は少し文章量多めになりましたが、途中で切って次回に回すにはさすがに中途半端なところでしたので、思い切ってそのまま載せました。
ようやく黒幕の正体が明らかとなり、その焦点ともいうべき黒髪の「ROM」こと佐緒里嬢の紹介まで進みました。もちろんただの娘さんではないのですが、それはまたおいおい来週くらいに披露することになるんじゃないか、と思います。
それにしても、私はどういうわけか昔から老人を出すのが好きで、同年代前後の男性を描写するよりも、ずっと年上の人達の方がなぜか書きやすかったりします。
物語でもお年寄りの活躍する部分というのは結構好きで、指輪物語の魔法使いガンダルフとかハリーポッターのダンブルドア校長なんていうのが一種の理想像として捉えていたりします。他にもたとえばジョジョの奇妙な冒険Part3のジョセフとか、映画「ベストキッド」のミヤギとか、基本的に、並みの若者では太刀打ちできないほどの実力があって、懐深く若者を導く老賢人、というのが理想のようです。その一方で死神博士(麗夢のライバルじゃなくて、ショッカー大幹部の方)なんていうのは心底ほれ込んでしまいそうなほど好きですので、善人であることはそれほど重要な意味合いがないのかもしれません。
この年寄り好きは、おそらくは古典に親しんだりしているうちに、私自身考え方が古めかしくなっている部分があるのも、親しみを覚えるところなのかもしれませんし、記憶にある祖父のイメージが重なっている所も多々あるような気もいたします。
少しずつ自分の年がこれら理想と仰ぐ年寄り達に近づいていき、いまやそれがそれほど遠くない、いずれ手の届くと実感できる頃合になってきているわけですが、果たして自分がこのような年寄り達と同じくらい経験と知識とを積み重ね、多少のことには動じない胆力と落ち着いた雰囲気をかもし出せるようになっているだろうか、と考えると、まだまだ心もとない気がしてなりません。まあ理想はあくまで理想、そうそう現実が追いつけるものではありませんが、そんな老人達を描き続けながら、いつか自分もそういう列に並ぶことの出来る人物になりたいものだ、と考えているのです。
さて、昨日に続いて連載小説「向日葵の姉妹達」をアップいたしました。今日の分は少し文章量多めになりましたが、途中で切って次回に回すにはさすがに中途半端なところでしたので、思い切ってそのまま載せました。
ようやく黒幕の正体が明らかとなり、その焦点ともいうべき黒髪の「ROM」こと佐緒里嬢の紹介まで進みました。もちろんただの娘さんではないのですが、それはまたおいおい来週くらいに披露することになるんじゃないか、と思います。
それにしても、私はどういうわけか昔から老人を出すのが好きで、同年代前後の男性を描写するよりも、ずっと年上の人達の方がなぜか書きやすかったりします。
物語でもお年寄りの活躍する部分というのは結構好きで、指輪物語の魔法使いガンダルフとかハリーポッターのダンブルドア校長なんていうのが一種の理想像として捉えていたりします。他にもたとえばジョジョの奇妙な冒険Part3のジョセフとか、映画「ベストキッド」のミヤギとか、基本的に、並みの若者では太刀打ちできないほどの実力があって、懐深く若者を導く老賢人、というのが理想のようです。その一方で死神博士(麗夢のライバルじゃなくて、ショッカー大幹部の方)なんていうのは心底ほれ込んでしまいそうなほど好きですので、善人であることはそれほど重要な意味合いがないのかもしれません。
この年寄り好きは、おそらくは古典に親しんだりしているうちに、私自身考え方が古めかしくなっている部分があるのも、親しみを覚えるところなのかもしれませんし、記憶にある祖父のイメージが重なっている所も多々あるような気もいたします。
少しずつ自分の年がこれら理想と仰ぐ年寄り達に近づいていき、いまやそれがそれほど遠くない、いずれ手の届くと実感できる頃合になってきているわけですが、果たして自分がこのような年寄り達と同じくらい経験と知識とを積み重ね、多少のことには動じない胆力と落ち着いた雰囲気をかもし出せるようになっているだろうか、と考えると、まだまだ心もとない気がしてなりません。まあ理想はあくまで理想、そうそう現実が追いつけるものではありませんが、そんな老人達を描き続けながら、いつか自分もそういう列に並ぶことの出来る人物になりたいものだ、と考えているのです。