月曜日の割には眠気も目眩も頭痛も無く、比較的元気に1日を過ごすことが出来ましたが、よくよく考えてみるに、それが珍しい事だとブログのしょっぱなに記載する位、昨今の月曜日は眠くて目がくらくらして頭が痛いのが普通になっていたのか、とちょっと愕然としてしまいました。ううむ、知らぬ間に気がついたら調子の悪いのがデフォルトになっていただなんて……。さすがにもう暖ったかくなったのですから、身体の具合の低空飛行は脱皮して、春らしい気分で心身とも高く軽やかに毎日を過ごしたいものです。
さて、「アルプスの少女ハイジ」の原作、「ハイジ」が盗作だった、なんていう衝撃的なニュースを昼休みにネットニュースで見ました。読んでみると、スイスの女性作家ヨハンナ・シュピリが1880年に書いたこの本の内容が、それより50年前、ドイツの詩人で作家のヘルマン・アダム・フォン・カンプが書いた「アルプスの少女アデレード」という話とよく似ているという発見があったのだそうです。
ハイジの本名、アーデルハイドに対し、この50年前の原作?ではアデレードとそっくりで、筋書き、描写も酷似しており、シュピリが、この作品を下敷きにした可能性が高いとのこと。私には、この両者の名前は「そう言われれば似てるかも?」程度の相似でしかないのですが、原語では綴りや発音が似ていたりするんでしょうか?
まあそれはともかく、筋書き、描写も似ているということですし、この「発見」が間違いないのなら、全く偶然、半世紀を経て同じような本が書かれたのだ、という僅かな可能性を除けば、やっぱり「アデレード」を参考にして、「アーデルハイド」の物語は紡がれたとみて間違いないのでしょう。
当時のスイスとドイツの交流や出版の事情は判りませんが、かたや、巡り巡って我が国でアニメ化されたりして、今や世界中で愛される作品となったのに対し、もう一方はこうして研究者が掘り起こすまでほとんど誰からも注目されなかった、というのは、何か運命的なものを感じてしまいます。国も違い時間も50年もの差があって、どうして両者に交流がありえたのか。どこをどう巡って「アデレード」がハイジの原作になったのか非常に興味がひかれますが、そのあたりは改めて研究が進められるのではないか、と期待したいところです。
奥田誠治御大も絵コンテを描いていた「アルプスの少女ハイジ」に今になってこんなエピソードが発生しようとは、なんとも面白い巡り合わせのような気がいたします。
さて、「アルプスの少女ハイジ」の原作、「ハイジ」が盗作だった、なんていう衝撃的なニュースを昼休みにネットニュースで見ました。読んでみると、スイスの女性作家ヨハンナ・シュピリが1880年に書いたこの本の内容が、それより50年前、ドイツの詩人で作家のヘルマン・アダム・フォン・カンプが書いた「アルプスの少女アデレード」という話とよく似ているという発見があったのだそうです。
ハイジの本名、アーデルハイドに対し、この50年前の原作?ではアデレードとそっくりで、筋書き、描写も酷似しており、シュピリが、この作品を下敷きにした可能性が高いとのこと。私には、この両者の名前は「そう言われれば似てるかも?」程度の相似でしかないのですが、原語では綴りや発音が似ていたりするんでしょうか?
まあそれはともかく、筋書き、描写も似ているということですし、この「発見」が間違いないのなら、全く偶然、半世紀を経て同じような本が書かれたのだ、という僅かな可能性を除けば、やっぱり「アデレード」を参考にして、「アーデルハイド」の物語は紡がれたとみて間違いないのでしょう。
当時のスイスとドイツの交流や出版の事情は判りませんが、かたや、巡り巡って我が国でアニメ化されたりして、今や世界中で愛される作品となったのに対し、もう一方はこうして研究者が掘り起こすまでほとんど誰からも注目されなかった、というのは、何か運命的なものを感じてしまいます。国も違い時間も50年もの差があって、どうして両者に交流がありえたのか。どこをどう巡って「アデレード」がハイジの原作になったのか非常に興味がひかれますが、そのあたりは改めて研究が進められるのではないか、と期待したいところです。
奥田誠治御大も絵コンテを描いていた「アルプスの少女ハイジ」に今になってこんなエピソードが発生しようとは、なんとも面白い巡り合わせのような気がいたします。