とりあえず仕事は山脈の最高峰に出て一息ついた、という感じのところまできました。後は尾根伝いにしばらく高低をやり過ごしながら、来週半ば頃にはなんとか下山することが叶いそうな、でもひょっとしたらそれは甘いかも? という位のところです。まあ予断は許しませんが、一山越えたことは間違いない事実ですので、今夜くらいはひとまずゆっくりと寝ることができそうです。
さて、今年のノーベル賞が次々公表されています。化学賞の日本人受賞は素晴らしい!の一言に尽きますし、平和賞の見事さはもう激賞のあまり小躍りしたくなりながら、振り返って我が国の体たらくを見て意気消沈してしまったり、と忙しいものですが、経済学賞というやつだけは、いまだによく理解できないでいます。そもそも経済学とやらにノーベル賞が授与される価値があるのでしょうか? などと言い放ってしまうとまあ傲慢の極みだな、と自分でも思わないでもないのですが、いまだに私は、経済学が人類の進歩に本当に役に立っているのか、どうにも疑問が拭えないでいます。経済学の価値が理解出来ない社会学音痴な私ですので仕方ないところもあるのですが、翻って我が国にはたくさんの科学音痴がいらして、似非科学がはびこったりすることもママあったりするわけで、そういう方々からしたら、私が経済学に感じているのと同じような感覚で、化学や物理学を見ているのかもしれない、と思ったりもします。ただ、これらは、その内容が得体のしれない魔法のように感じられるとしても、無意味とか役に立たないとか思うヒトはまあ少ないだろうと想像されます。一方で私の経済学に対する感じ方は、そもそも無意味で役立たずなのではないか? ということであって、食わず嫌いのせいもあるのでしょうが、いまだにそれを払拭しうる、目から鱗が落ちるような、経済学の有用性を証明してくれる話を聞いたことがないのです。実際のところはどうなんでしょう? 天下のスウェーデン王立科学アカデミーがノーベル賞を授与するくらいなのですからきっとそれなりに意味がある学問なのだろう、とは思うのですが、その価値を理解できるような機会が、残りの生涯に私に巡ってくることが果たしてありうるんでしょうか?
さて、今年のノーベル賞が次々公表されています。化学賞の日本人受賞は素晴らしい!の一言に尽きますし、平和賞の見事さはもう激賞のあまり小躍りしたくなりながら、振り返って我が国の体たらくを見て意気消沈してしまったり、と忙しいものですが、経済学賞というやつだけは、いまだによく理解できないでいます。そもそも経済学とやらにノーベル賞が授与される価値があるのでしょうか? などと言い放ってしまうとまあ傲慢の極みだな、と自分でも思わないでもないのですが、いまだに私は、経済学が人類の進歩に本当に役に立っているのか、どうにも疑問が拭えないでいます。経済学の価値が理解出来ない社会学音痴な私ですので仕方ないところもあるのですが、翻って我が国にはたくさんの科学音痴がいらして、似非科学がはびこったりすることもママあったりするわけで、そういう方々からしたら、私が経済学に感じているのと同じような感覚で、化学や物理学を見ているのかもしれない、と思ったりもします。ただ、これらは、その内容が得体のしれない魔法のように感じられるとしても、無意味とか役に立たないとか思うヒトはまあ少ないだろうと想像されます。一方で私の経済学に対する感じ方は、そもそも無意味で役立たずなのではないか? ということであって、食わず嫌いのせいもあるのでしょうが、いまだにそれを払拭しうる、目から鱗が落ちるような、経済学の有用性を証明してくれる話を聞いたことがないのです。実際のところはどうなんでしょう? 天下のスウェーデン王立科学アカデミーがノーベル賞を授与するくらいなのですからきっとそれなりに意味がある学問なのだろう、とは思うのですが、その価値を理解できるような機会が、残りの生涯に私に巡ってくることが果たしてありうるんでしょうか?
