昨日のブログで話題にしたカルピスの99%果汁ジュースもどきの処置について、夢防人さんのコメントや別のニュースを見て結局廃棄処分されることを知り、どうにももったいないという思いが募ってやみません。コメントにも書きましたけど、少し書き足りない気がしたので、今日はもう少し書いてすっきりしてから寝ようと思います。
この種の加工食品で問題が生じたとき、大抵廃棄処分されてしまうことに、そろそろ疑問の声を上げていかねばならないなと思っています。まあ、食品ではない異物が混入してしまったり、それが毒物だったりしたならこれはもう問答無用で回収・廃棄もやむなしと思います。でも、食品としての安全性や栄養価値などに問題がないのに、日付などのパッケージの表示が間違ったとか、今回のケースのように、ほんの僅かな瑕疵でその食品を廃棄処分してしまうのは、どこか間違っている気がしてならないのです。全国で膨大な量の食品廃棄物があることは知っていますし、うちの冷蔵庫でも、食べるのを忘れていてカビを生やしてしまい、罪悪感に苛まれつつも生ごみとして処分してしまったことも一度や二度ではありません。でも、だからといって何の問題もなく食べられるものを廃棄処分する、というのは、単にもったいないというよりも、何か空恐ろしい罪を犯しているような気にさせられるのです。企業論理として食品として再利用を図るよりも廃棄処分したほうが結局損失を抑えられる、というのは判りますが、だからといって食べ物を粗末に扱うことを食品で商いする会社が安易に選択して良いのか? と思わずにはいられません。
しかしながら、今回のケースでは杓子定規なJAS法にだって問題は大有りだと思います。原材料は100%ブドウなのですから、ジュースでいいではありませんか。多分カルピスの開発担当や営業のヒトも、そういうつもりでいたんじゃないでしょうか? 全く果実とは関係ない甘味料の添加が認められるのに、香りを裕にするための果実発酵物、それもわずか1%の混入がアウトだなんて、私には理解できません。
そうでなくても将来は食料が危機的状況になるとか、環境に負担をかけるのはよくない、とか言うような話が出ているのですから、今こそ、こういう事で食品を粗末にすることをなくすための法なり技術なり環境なりの整備が必要なんじゃないかと思います。それも、今後同じミスをしないように、とカルピスの不注意を罰して終わり、なんてことじゃなくて、食べられるものを大量破棄することを禁止することや、そのような大量のもったいない食品を別途流通に乗せ、ちゃんと消費できるようにすること、この二つを可能にする様々な諸問題を検討して、然るべき手を考えていくべきだと思うのです。
この種の加工食品で問題が生じたとき、大抵廃棄処分されてしまうことに、そろそろ疑問の声を上げていかねばならないなと思っています。まあ、食品ではない異物が混入してしまったり、それが毒物だったりしたならこれはもう問答無用で回収・廃棄もやむなしと思います。でも、食品としての安全性や栄養価値などに問題がないのに、日付などのパッケージの表示が間違ったとか、今回のケースのように、ほんの僅かな瑕疵でその食品を廃棄処分してしまうのは、どこか間違っている気がしてならないのです。全国で膨大な量の食品廃棄物があることは知っていますし、うちの冷蔵庫でも、食べるのを忘れていてカビを生やしてしまい、罪悪感に苛まれつつも生ごみとして処分してしまったことも一度や二度ではありません。でも、だからといって何の問題もなく食べられるものを廃棄処分する、というのは、単にもったいないというよりも、何か空恐ろしい罪を犯しているような気にさせられるのです。企業論理として食品として再利用を図るよりも廃棄処分したほうが結局損失を抑えられる、というのは判りますが、だからといって食べ物を粗末に扱うことを食品で商いする会社が安易に選択して良いのか? と思わずにはいられません。
しかしながら、今回のケースでは杓子定規なJAS法にだって問題は大有りだと思います。原材料は100%ブドウなのですから、ジュースでいいではありませんか。多分カルピスの開発担当や営業のヒトも、そういうつもりでいたんじゃないでしょうか? 全く果実とは関係ない甘味料の添加が認められるのに、香りを裕にするための果実発酵物、それもわずか1%の混入がアウトだなんて、私には理解できません。
そうでなくても将来は食料が危機的状況になるとか、環境に負担をかけるのはよくない、とか言うような話が出ているのですから、今こそ、こういう事で食品を粗末にすることをなくすための法なり技術なり環境なりの整備が必要なんじゃないかと思います。それも、今後同じミスをしないように、とカルピスの不注意を罰して終わり、なんてことじゃなくて、食べられるものを大量破棄することを禁止することや、そのような大量のもったいない食品を別途流通に乗せ、ちゃんと消費できるようにすること、この二つを可能にする様々な諸問題を検討して、然るべき手を考えていくべきだと思うのです。