かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

08 原日本人の秘宝 その5

2010-10-24 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 麗夢は、剣を杖がわりになんとか立ち上がった。もともと玉櫛笥の結界で力が不足しているところに、思念波砲を撃つ無理を重ねた身に、さしたる力も残っていない。だが、喜色満面で呵々大笑するルシフェルを、このままにして良いわけがなかった。
 せめて一太刀。
 その企みを妨害し、あわよくば頓挫させる攻撃を、今繰り出さないでいつやるのか。麗夢は、たとえ刺し違えても止めてみせる、と最後の気を振り絞り、剣を構えた。
「ほう? まだやる気か麗夢。無駄なあがきも、過ぎると興冷めだぞ」
「無駄かどうかはやってみないと判らないでしょ! 覚悟なさい! ルシフェル!」
「やれやれ、だが、これ以上の余興は不要、っと! 手癖の悪い奴め!」
 ルシフェルが急に腰をひねって、よろよろと伸びてきた細い手から、玉櫛笥を引き離した。
「お願い……、玉櫛笥を返して」
 息を吹き返した荒神谷皐月が、邪険に遠ざけられた玉櫛笥めがけ、必死に手を伸ばしている。ルシフェルは残忍な笑みを浮かべて言った。
「心配せずとも、貴様の夢も叶うだろうて。もう少し黙って最後の結末を見ていくがいい」
「皐月ちゃんの夢? どういう事なのルシフェル!」
「別にどうということはない。この土人形はな、ただ主人を蘇らせたかったのだよ。もう一度会いたい、という虚仮の一念でな」
「主人って、まさか!」
 麗夢は、ついこの間この場所で葬り去った4人の女子高生達を想起せずにはいられなかった。
 荒神谷弥生。
 纏向静香。
 眞脇由香里。
 斑鳩日登美。
 南麻布女学園古代史研究部員にして、原日本人の血統を今に伝えた4人の巫女。
 思えば荒神谷皐月は、彼女たちの妹と名乗って現れたのだった。原日本人4人の巫女の後継者、という名乗りに囚われて、この子達もまた、原日本人の復権を狙っているものと麗夢はすっかり勘違いしていた。でも確かに最初の出会いで皐月は宣言していたのだ。自分達の目的は復讐ではない。いうなればリセットだ、と。その後のハプニングで詳細を聞きそびれたせいもあって、麗夢はその言葉をあまり重視していなかった。だが、今ならはっきりと理解できる。彼女たち、おそらくはあっぱれ4人組が大事にしていた4体の埴輪の目的は、単に主人たる4人に会いたいということ、ただその一点だけだったことを。
 麗夢のうめきに満足気な笑みをこぼしたルシフェルは、右手の玉櫛笥を頭上高く差し上げた。途端にルシフェルの周囲を揺らめき絡む白と黒のエネルギーの帯が急速に回転速度を上げ、既に途方もなく高まっていた力を更に練り、収斂させていった。頃合いよし、とみたルシフェルは、最後通牒、とばかりに麗夢に言った。
「さあ、無駄話も終わりだ麗夢。時は熟した。この世界の最後を、生命の続く限り、その目でとくと見届けるがいい!」
 はっとなって飛びかかろうとした麗夢の目の前で、ルシフェルの右手が鋭く振り下ろされ、手にした玉櫛笥が地面に叩きつけられた。同時に、回転を速め、修練していったルシフェルを取り巻く白黒二本のエネルギーの帯が、まるでドリルのように玉櫛笥の後を追って地面に突き刺さった。
 突然、ルシフェルの足元から地面が消えた。
 底知れぬ闇と化したその空隙が、次の瞬間には100倍にも拡大して、南麻布学園地下大空洞の地面に、巨大な穴を穿った。
 あっという間もなく支える地面を失った榊、鬼童、円光、それにアルファ、ベータまでが、突如生まれた黒い闇に消えた。
「アルファ! ベータ!」
 夢の中ならありえない高さに飛び上がる二匹の魔獣も、文字通り底なしとなった巨大な陥没には為す術もなかった。辛うじて穴の縁で落下をまぬがれた麗夢の叫びも、ただ虚しく闇に呑まれるばかりだった。
「さあ、貴様の役割も終わった。好きなように捜しに行くがいい。貴様らの主人をな」
 左脇に抱えていた皐月を、ルシフェルは無造作に放り投げた。一瞬の無重力に息を呑んだ小柄なツインテール小学生の身体が、次の瞬間には先に逝った3人の仲間と同じ、土色の小さな埴輪に変化した。それをルシフェルは思い切り蹴り飛ばした。埴輪はもろくも砕け、たちまちのうちに闇に吸い込まれていった。
 ルシフェルの嘲り笑う大きな声すらが虚しさを覚えるかのようにうつろに響く。麗夢は、足元の闇の中から立ち上りつつある気配に戦慄した。
 何かが来る。
 もはや想像することすら許されない巨大な力。世界を漆黒に塗りつぶす闇の力を振るう何かが、ゆっくりと、だが確実に、遥か深淵の底から這い上がってこようとしている。
「さあ来たぞ、地獄からの使者が。このわしとともに、この世の光という光を飲みつくすためにな。手始めは麗夢、まず貴様からだ」
 闇の宙に一人佇むルシフェルの右手に、愛用の大鎌が現れた。ルシフェルはそのまま、まるで見えない橋の上を進むように、闇の穴の上をゆっくり麗夢に向けて歩き始めた。その間にも、穴の奥深くから闇の力がせりあがり、それに応じて、黒い穴も少しずつ周囲に広がっていった。麗夢は慌てて飛び退り、穴とルシフェルから距離をとったが、ルシフェルはまるで慌てる様子もなく、悠然と歩き続けた。恐らく、幾ばくもしないうちに、退く場所を失うのは間違いないと麗夢は感じた。いや、学園地下だけではない。多分この穴は、南麻布一帯を覆い、武蔵野の地を呑み込み、更に東京そのものを、貪欲にその闇へと引きずり込んで行くに違いない。そして更に、更に、この世のあらゆる光を貪り尽くし、無に帰するまで拡大を続けるのであろう。まさに世界崩壊の序曲が奏でられつつあるのだ。
 麗夢は、もう一度暗黒の深淵の奥に目を凝らした。ついさっき、この闇に呑まれていった仲間たちの安否は全く判らない。闇の力が強すぎるせいか、アルファ、ベータの気すら感じられないのが、麗夢を激しく動揺させた。たとえ運良く墜落死をまぬがれていたとしても、闇の中の闇、鬼童言うところの黒の想念が濃密に凝集した魔の空間では、榊、鬼童はもちろん、弱りきっていた円光も、幾許の間もなく生命を火を暗黒に呑まれてしまうだろう。アルファ、ベータだって無事かどうか分からない……、麗夢は、もう何もかも投げ出してしまいたくなるような激情に身を駆られるのを辛うじて抑えこんだ。まだ、皆が死んだとは限らない。円光が結界を作り、アルファ、ベータも踏ん張っているかもしれない。今、自分が諦めたら、そんなみんなをどうやって救い出すというのか。しっかりして! 麗夢!
 麗夢は、よろめく足を叱咤して、迫り来る死神に対し、手にした剣を構え直した。気力を振り絞り、剣に戦い抜く意志と力を込めていく。全てが闇に包まれようとする地下洞窟の中で、その剣の放つ青白い光だけが、今麗夢が頼れる唯一の希望だ。
「ルシフェル。貴方だけは、止める!」
 麗夢は、もはや至近に迫ったルシフェルの懐目指し、思い切り飛び込んだ。力強く光を放つ夢の剣を大上段に振りかぶり、シルクハットに隠れた死神の脳天目掛け、全身のバネを極限まで振り絞って、その切っ先を文字通り叩きつけた。大鎌を手にしたルシフェルも、その瞬速の剣さばきには意表を突かれたかに、麗夢には見えた。
「ふん!」
 キン! と鋭い金属音が耳を打った。と同時に体中の骨がバラバラに砕けそうな衝撃に、麗夢は痛みを感じる間もなく吹っ飛ばされた。そのまま、闇の陥没に至っていない洞窟の地面に勢い良く背中から落とされ、肺から空気が一気に吐き出される。
 何かが高速で空を切る音がしたと思った瞬間、キラキラと青白く輝くものが、麗夢のすぐ顔の脇にグサッと刺さった。切断された髪の毛が幾筋か、その勢いに跳ね飛ばされていく。まだ青白い残光をまとっていたその切っ先は、刃の半分ほどを地面に突き刺すと、瞬く間に光を失い、鈍い銀色の刃面へと変じていった。
 麗夢はその切っ先と、衝撃に痺れて感覚が無い右手に残る柄の部分を信じがたい思いで呆然と眺めた。
 夢の剣が、折られた?……!
「今のわしには、地獄から無限に闇の力が届いておるのだ。その程度の力で跳びかかって来るなどまさに愚の骨頂。アリが象に立ち向かうようなものだ」
 見えなかった。
 激突の刹那、ルシフェルが振るった鎌の一閃。
 麗夢の反射神経と動体視力では、その動きがまるで捉えられなかったのだ。
 この剣がその斬撃を防いでくれていなかったなら、今こうして両断されて転がっていたのは、胴体を切り飛ばされた自分自身だっただろう。でもそれは、本当に偶然に過ぎなかったのだ。
「さあ、これで、終わりだ」
 あまりに近くから声を感じ、はっとなった瞬間、麗夢は首を鷲掴みにされて強引に立ち上がらされた。充分に距離を置いていたはずのルシフェルが、麗夢が気配を感じることすら許さない速度で一気に近寄り、麗夢を捉えたのである。
 息が止まるどころか、このままあっさり首の骨を折られそうなくらいに強烈に喉を締め上げられ、麗夢はうめくことも出来なかった。必死にルシフェルの身体を蹴りつけ、まだ持ったままだった剣の残骸をその顔に投げつけ、両手で首を締める鶏ガラのようにしか見えない死神の手首を引き剥がそうと力を振り絞った。だが、ルシフェルの身体は鋼鉄の鎧をまとうかのように麗夢の蹴りをまるで受け付けず、投げつけた剣の柄も、その高々とそびえる鷲鼻に当たって、傷ひとつ負わせることも無く弾き返された。その上、ルシフェルの腕は頑丈な万力のようにびくともしない。ルシフェルは、そんなあがきを心地良い音楽でも聞いているかのように陶然と眺めると、ほとんどキスでもしかねないほどに、ぐい、と自分の鼻先に麗夢の顔を引きつけた。
「フフフ、麗夢、貴様とは長い付き合いだが、今、貴様は最高によい顔をしているぞ」
 麗夢は咄嗟に右手人差し指を、ルシフェルの半面、まだ肉眼が残っている方へ突き込んだ。
「くっ!」
「そう、その顔だ。いいぞ麗夢。更に怯えた顔も見せてくれると嬉しいのだがな」
 麗夢は、首の骨のきしみに加え、突き指した痛みに意識を失いそうになった。麗夢の指は、間違いなくルシフェルの眼球を貫いたはずなのに、その指はまるで鋼鉄の塊を突いたかのようにしか感じられなかった。
「さあ、余興はこれで終わりだ。生まれ来る新たな闇の生贄となるがいい!」
 ルシフェルは、陰惨な気が充ち満ちて、今まさに出現とする地獄の使者に捧げるべく、麗夢の身体をその陥穽の中心目掛け投げつけた。麗夢は抵抗する術もないまま、ボロ雑巾のように闇に落ち、そのままルシフェルの視界から消えた。
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