かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

室町時代のお寿司、どうみても泥団子に見えてしまうのは仕方ないですね。

2010-10-02 22:29:40 | Weblog
 先週は何かと忙しかった週末ですが、今週は全ての時間を自由にできる、文字通りの休日を過ごしました。疲労が蓄積していたのか、朝9時半まで寝て、明日から雨、という話だったので布団を干し、ついでにそろそろ出しておこうと思っていた毛布をとりあえず1枚引っ張り出してきて、一緒に干しておきました。部屋に軽く掃除機をかけ、色々雑事をこなしているうちに日も傾いて、後は滞っていた小説を書いて、今、夜10時半になって、眠くてたまらない、という状況になっています。疲れをとるには眠るのが一番だとつくづく感じます。明日は朝から雨が降らなければ町内会の掃除に参加しなければなりませんが、雨が降り出すかどうかは今のところ微妙です。もし降ったら小説の続きを書いて、雨の音でも聞きながら、本の1冊でも読んでみることに致しましょう。

 さて、鳥取県の大山寺というお寺の発掘現場から、室町時代の押し寿司の遺跡(化石?)が出土して話題になっているそうです。これが押し寿司と確認されれば、国内最古の寿司の遺物ということで、食物文化史上の貴重な発見になるのだとか。押し寿司の歴史は、文献的には平安時代まで遡ることができるそうですが、ごはんが千年近くも分解せずに残ることはまずありえず、今回のものも、寿司がそのまま土にうもれて残ったのではなく、火事か何かで焼けて炭になったために残ったものなのだそうです。
 そのニュースには遺物の写真が載っていたのですが、どうも写真で見ている限り、子供がママゴトの時に土や泥で作った料理のようなものに見えて、とても寿司というイメージではありません。実際に身近に触れて観察すればひょっとしたら寿司という印象を強く持てるかもしれないのですが、鳥取県ではそうそう簡単に観に行くわけにもいきませんし、博物館かどこかで後悔でもされない限り、行って見せてもらえるとも限りませんから、今は調査・研究の進展を静かに待つよりなさそうです。多分私がいだいている押し寿司のイメージとは随分違い、何百年も昔なら、米だって品種も違えば炊き方なども違うんじゃないかと想像されますから、ご飯自体も随分異なったものではないかと思われますし、近くで見ても、やっぱり寿司には見えないかもしれませんね。
 でも、こうして曲がりなりにもむかしむかしの食べ物がどんなものか、知る機会がある、というのも楽しい話です。個人的にも、今連載している小説の次は、出来れば平安時代を取り上げたいと思っておりますし、そのような昔の情報が新たに出てきてくれるのは大歓迎なのです。

コメント
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