昨夜未明、地震がありました。揺れは大したことありませんでしたが、目が覚めるくらいには揺れたみたいです。もっとも昨夜は寝苦しくて、扇風機のタイマーが切れるたびに目が覚めていましたから、全般的に眠りが浅かったかもしれません。そんなわけで朝から何だか疲れている気がする一日でしたが、なんとか職務を全うできました。蒸し暑いのにはなかなか慣れませんね。明日からは台風の影響でどうやら週末まで雨続きみたいですが、強烈な日差しかジメジメした蒸し暑さしか選択肢がないというのが一番疎ましい季節です。
さて、理研の副センター長笹井博士が自殺されてしまった件、マスコミが追い詰めたとか理研が悪いとか野次馬根性の国民のせいだとか、いや、死に逃げた本人が一番悪いとか色々喧しくなっているようですが、多分、それぞれに少しずつ理があることなのだろうな、と眺めていて思いました。特に小保方氏との不倫とか、STAP細胞の有無という科学上の一大命題の前では瑣末とすら言うのさえバカらしくなるどうでもいい話をあげつらっていたマスコミの姿勢などは、正直呆れるより無いのですが、ただ、様々な事情はどうあれ、死なせてしまっては元も子もない話で、どうしてその死を防げなかったのか、という悔いが私には残ります。激務と様々な心労に圧迫されて鬱を発症していたのだとすればそれはもう仕方のない話で、そうだとしたら死に逃げたと言うような論調は言語道断だろうと思う一方で、死に追いやってしまった、一線を超えさせてしまった周囲の対応の不味さは全く持って残念でなりません。その点からすると、笹井氏の近くで状況を観ていたはずの理研の人々の責任こそが最も大きいと言えそうです。
ただ、今となってはもはや死んだ命は帰ること無く、笹井氏は二度と意見を述べることも実験を続けることもできなくなったのですから、せめてその死を無駄にしないようにする事を考えるより無い気がします。まずはスタップ現象があるのか無いのかをはっきりさせることだと私は思います。あったらあったでめでたいことですが、無い、と確定するのもまた立派な成果ですから、理研は堂々と実験をして、その白黒をはっきりと世間に明示すべきです。研究はやったから必ず成果の出るというものでもないのですから、それを持って税金の無駄遣いとのたまうのもおかしな話です。科学自体、様々な間違いやその時の限界、また時に作為的な捏造などによって方向を誤りつつも、真理を追い求めるうちには必ずそれらは淘汰されていくものです。そんな試行錯誤が受容できなければ、科学の進歩などありえません。この際、理研もマスコミも政府も、この機会を利用してそんな科学の曖昧さやいい加減さをしっかりと認識した上で、より良く正しい真理を探り続けるための方策を考えていくべきではないかと思います。そしてそれは、不正を厳格に排除すべく研究者に経理をやらせ書類の山を作らせることではない、と私は信じます。
さて、理研の副センター長笹井博士が自殺されてしまった件、マスコミが追い詰めたとか理研が悪いとか野次馬根性の国民のせいだとか、いや、死に逃げた本人が一番悪いとか色々喧しくなっているようですが、多分、それぞれに少しずつ理があることなのだろうな、と眺めていて思いました。特に小保方氏との不倫とか、STAP細胞の有無という科学上の一大命題の前では瑣末とすら言うのさえバカらしくなるどうでもいい話をあげつらっていたマスコミの姿勢などは、正直呆れるより無いのですが、ただ、様々な事情はどうあれ、死なせてしまっては元も子もない話で、どうしてその死を防げなかったのか、という悔いが私には残ります。激務と様々な心労に圧迫されて鬱を発症していたのだとすればそれはもう仕方のない話で、そうだとしたら死に逃げたと言うような論調は言語道断だろうと思う一方で、死に追いやってしまった、一線を超えさせてしまった周囲の対応の不味さは全く持って残念でなりません。その点からすると、笹井氏の近くで状況を観ていたはずの理研の人々の責任こそが最も大きいと言えそうです。
ただ、今となってはもはや死んだ命は帰ること無く、笹井氏は二度と意見を述べることも実験を続けることもできなくなったのですから、せめてその死を無駄にしないようにする事を考えるより無い気がします。まずはスタップ現象があるのか無いのかをはっきりさせることだと私は思います。あったらあったでめでたいことですが、無い、と確定するのもまた立派な成果ですから、理研は堂々と実験をして、その白黒をはっきりと世間に明示すべきです。研究はやったから必ず成果の出るというものでもないのですから、それを持って税金の無駄遣いとのたまうのもおかしな話です。科学自体、様々な間違いやその時の限界、また時に作為的な捏造などによって方向を誤りつつも、真理を追い求めるうちには必ずそれらは淘汰されていくものです。そんな試行錯誤が受容できなければ、科学の進歩などありえません。この際、理研もマスコミも政府も、この機会を利用してそんな科学の曖昧さやいい加減さをしっかりと認識した上で、より良く正しい真理を探り続けるための方策を考えていくべきではないかと思います。そしてそれは、不正を厳格に排除すべく研究者に経理をやらせ書類の山を作らせることではない、と私は信じます。