今日は久しぶりに、職場の駐車場に止めていた車の車内やシートがやけどするかと思うくらいに熱くなりすぎていました。でも明日からはまた天気が悪化、向こう10日余りは天候不順が続き、日照不足が懸念されるので農作物には注意すべし、という気象庁の話がありました。8月上旬の西日本は、降水量が平年の3~10倍、日照量が6割~3割弱という体たらくですから、農作物への影響が懸念されるのも当然です。私も、サボテンの夏越しを今年はどうしたものか、少し迷いが出てきています。例年だと完全に水を切って秋まで放置するのですが、ひょっとしたら秋が来るのが異様に早くなるのではなかろうか、と思うと、秋の準備を急がないと、と急き立てられてしまうのです。なんとなればこの秋は、ビニールの張替えと春にパスした植替えなど、大掛かりな手入れを計画しているのです。そのタイミングの見極めにこれほど苦労するのなら春の内に全て済ませておくのだった、と怠慢をした数カ月前の自分に小言の一つも言ってやりたくなります。とりあえず、8月後半~9月前半の天気概況を睨みつつ、できるところから準備を早めに進めておくしかありませんね。
さて、奈良県でまたなかなかすごいのが発掘されたそうです。6世紀後半に築造されたとみられる明日香村の都塚古墳ですが、従来、一辺30m、3段程度の方墳と思われていたものが、発掘してみるとどうやら一辺40mを超え、段数も最低5段以上、まるで階段上のピラミッドそっくりな形だったことが判明した、ということでした。巨大な石室と豪華な家形石棺があり、近所の蘇我馬子の墓と見られる石舞台古墳もまた方墳だったとみられることから、都塚古墳は馬子の父蘇我稲目のものではないか、との推測がなされています。蘇我系の天皇の墳丘も方墳であることから、蘇我氏のお墓づくりは方墳が基本だろうという説がありますが、ここで見事なピラミッド型墳丘墓が新たに登場し、飛鳥時代直前の古墳時代のあり方に、一石を投じることになりました。
前方後円墳全盛のこの時代に敢えて方墳を築いてみせた氏族は確かに蘇我氏なのか、また、たしかに蘇我氏だとしたら、何故蘇我氏はそこまで方墳にこだわったのか、など、色々と古代史へのロマンが掻き立てられる今回の発掘ですが、どうしても歯がゆいのは石舞台にせよこの都塚にせよ、結局被葬者が誰なのかは不明というより無く、馬子とか稲目等というのも推測に過ぎず決定的な証拠が何一つ無い、というところです。未だベールに包まれたままの天皇陵などもこの際積極的に発掘し、その被葬者を特定できる手がかりを少しでも得ていかないと、いつまで経っても侃々諤々と歴史・考古学者先生のやりとりがあるばかりで、一向に埒が明きそうにありません。万世一系、2600年を超える皇統はまさに世界に冠たる我が国の誇りですが、その一方でそれを言い訳に宮内庁が御陵の調査を頑なに拒むのを許してしまうのがなんとも痛し痒しなばかりです。
さて、奈良県でまたなかなかすごいのが発掘されたそうです。6世紀後半に築造されたとみられる明日香村の都塚古墳ですが、従来、一辺30m、3段程度の方墳と思われていたものが、発掘してみるとどうやら一辺40mを超え、段数も最低5段以上、まるで階段上のピラミッドそっくりな形だったことが判明した、ということでした。巨大な石室と豪華な家形石棺があり、近所の蘇我馬子の墓と見られる石舞台古墳もまた方墳だったとみられることから、都塚古墳は馬子の父蘇我稲目のものではないか、との推測がなされています。蘇我系の天皇の墳丘も方墳であることから、蘇我氏のお墓づくりは方墳が基本だろうという説がありますが、ここで見事なピラミッド型墳丘墓が新たに登場し、飛鳥時代直前の古墳時代のあり方に、一石を投じることになりました。
前方後円墳全盛のこの時代に敢えて方墳を築いてみせた氏族は確かに蘇我氏なのか、また、たしかに蘇我氏だとしたら、何故蘇我氏はそこまで方墳にこだわったのか、など、色々と古代史へのロマンが掻き立てられる今回の発掘ですが、どうしても歯がゆいのは石舞台にせよこの都塚にせよ、結局被葬者が誰なのかは不明というより無く、馬子とか稲目等というのも推測に過ぎず決定的な証拠が何一つ無い、というところです。未だベールに包まれたままの天皇陵などもこの際積極的に発掘し、その被葬者を特定できる手がかりを少しでも得ていかないと、いつまで経っても侃々諤々と歴史・考古学者先生のやりとりがあるばかりで、一向に埒が明きそうにありません。万世一系、2600年を超える皇統はまさに世界に冠たる我が国の誇りですが、その一方でそれを言い訳に宮内庁が御陵の調査を頑なに拒むのを許してしまうのがなんとも痛し痒しなばかりです。