今朝の奈良市の最低気温4.1℃、最高気温は11.7℃、五條市の最低気温は1.8℃、最高気温は10.6℃でした。氷点下までは生きませんでしたが、結構冷え込みました。昼間も天気はさほど悪いわけでもないのに北風が冷たく、コートなしでは辛い様子でした。場所によっては時折しっかりした雨も降っており、安定感に欠ける空模様でした。明日も似たような天気になりそうで、不安定な状態はもう少し続くみたいです。
さて、そんな中、今日は5時起きで香川県まで出かけてきました。昨夕、大学の恩師の先生の訃報を聞き、告別式に参列するため急遽出かけることにしたのです。式の開始が午前10時半だったため、新幹線で行ってもこちらを6時前に出発しなければ間に合いそうにありません。土日は早朝にバスも走っていませんし、20分かけて橿原神宮前駅まで歩き、近鉄、新幹線、瀬戸大橋線を乗り継いでなんとか間に合わせました。
しかし、本格的なお葬式に参列するのは多分10年以上ぶりで、黒のネクタイとか数珠とかよくすぐに見つかった、と自分でも驚きでした。基本、葬式というのはどうも嫌いで、死んだらその時点で全て終了、後は個人との関係を自分の中で整理するだけでしかないのに、どうして仰々しく大勢集まり、既に単なる肉塊に過ぎない死体を前にして読経したり弔事を読んだり、色々と大金かけて行うのか、私には理解できないため、これまで仕事関係などでも極力出ないようにしておりました。それでも流石に世話になった恩師の最期ともなればと思い、かなり無理して出かけてきましたが、最初から最後まで参列して、やっぱりお葬式というものの必要性には疑問を覚えざるを得ませんでした。ただ、出棺の前の献花で故人の顔を拝んだのだけは、意味があったように感じられます。今の遺体管理技術が優れているのか、3日前に息を引き取って、既に身体の全細胞が活動を停止しているとはとても思えず、本当に寝ているようにしか見えませんでした。私の中でああこれが最後だな、と瞬時に感得することができた気が致しました。
とはいえ、いずれ父や母が亡くなる時は故人の遺志を尊重してどうするか決めますが、遺言等無ければ葬式を挙げることはしないでしょう(まあ親戚関係には色々言われそうなのでその点は多少考慮しますが)。また、私自身が亡くなる時は、法に則り遺体を焼き、社会的な様々な手続きを完遂してくれたら十分で、絶対に葬式など挙げないようにと遺言しようと思います。まあ死んでしまえば後で何をされようとされまいとどうしようもないですから、結局は自己満足に過ぎないのではありますが。
さて、そんな中、今日は5時起きで香川県まで出かけてきました。昨夕、大学の恩師の先生の訃報を聞き、告別式に参列するため急遽出かけることにしたのです。式の開始が午前10時半だったため、新幹線で行ってもこちらを6時前に出発しなければ間に合いそうにありません。土日は早朝にバスも走っていませんし、20分かけて橿原神宮前駅まで歩き、近鉄、新幹線、瀬戸大橋線を乗り継いでなんとか間に合わせました。
しかし、本格的なお葬式に参列するのは多分10年以上ぶりで、黒のネクタイとか数珠とかよくすぐに見つかった、と自分でも驚きでした。基本、葬式というのはどうも嫌いで、死んだらその時点で全て終了、後は個人との関係を自分の中で整理するだけでしかないのに、どうして仰々しく大勢集まり、既に単なる肉塊に過ぎない死体を前にして読経したり弔事を読んだり、色々と大金かけて行うのか、私には理解できないため、これまで仕事関係などでも極力出ないようにしておりました。それでも流石に世話になった恩師の最期ともなればと思い、かなり無理して出かけてきましたが、最初から最後まで参列して、やっぱりお葬式というものの必要性には疑問を覚えざるを得ませんでした。ただ、出棺の前の献花で故人の顔を拝んだのだけは、意味があったように感じられます。今の遺体管理技術が優れているのか、3日前に息を引き取って、既に身体の全細胞が活動を停止しているとはとても思えず、本当に寝ているようにしか見えませんでした。私の中でああこれが最後だな、と瞬時に感得することができた気が致しました。
とはいえ、いずれ父や母が亡くなる時は故人の遺志を尊重してどうするか決めますが、遺言等無ければ葬式を挙げることはしないでしょう(まあ親戚関係には色々言われそうなのでその点は多少考慮しますが)。また、私自身が亡くなる時は、法に則り遺体を焼き、社会的な様々な手続きを完遂してくれたら十分で、絶対に葬式など挙げないようにと遺言しようと思います。まあ死んでしまえば後で何をされようとされまいとどうしようもないですから、結局は自己満足に過ぎないのではありますが。