昨日から今日にかけて紀伊半島にバイクで行っていました。行きは海岸線の国道42号を走り、帰りは紀伊半島の山の中168号線から名阪国道という流れです。目的は気分転換だったのですが、奇しくも3年前の豪雨災害の地域をたどる形となりました。
行きの紀伊長島から新宮までの区間では、次の瞬間に大地震が起こったら自分はどこに避難するかということを考えながら移動していたのですが、 想定震源域に近い紀伊半島では5分以内に海抜20mを目安に避難を考えたのですが、自然地形も含めてなかなか難しいなと思いました。また、3年前に1日だけでしたが、紀宝町の豪雨災害の泥出しボランティアにきたことなども思い出しました。新宮からは熊野川沿いをさかのぼっていったのですが、対岸の道路が土砂崩れで寸断されたものがまだ復旧されていないなど、まだ爪痕が下流部でも見られました。
帰りは十津川村から大塔を抜けて五條にいたる三桁国道を走ることになったのですが、こちらも新宮からと同じく、まだまだ豪雨災害の爪痕が多く残っていました。
印象的なのはこの光景、このあと近くの集落で地域の方と少し話したのですが、こちらの地区ではこの地滑りでの被害はなかったものの、土砂ダムになっていたということでした。いわく、山が低かったからよかったということで、これより高かったらどうだったかと話されていました。そのこと以外では、やはり急病時に不安があるとのことで、救急車は新宮もしくは五條で2時間以上はかかる、ヘリで八尾と言っても夜や天候がよくないときには飛ばないなどの課題があると話されていました。少しの立ち話でしたが、今後の紀伊半島の内陸部について考えさせられるものがありました。
行きの紀伊長島から新宮までの区間では、次の瞬間に大地震が起こったら自分はどこに避難するかということを考えながら移動していたのですが、 想定震源域に近い紀伊半島では5分以内に海抜20mを目安に避難を考えたのですが、自然地形も含めてなかなか難しいなと思いました。また、3年前に1日だけでしたが、紀宝町の豪雨災害の泥出しボランティアにきたことなども思い出しました。新宮からは熊野川沿いをさかのぼっていったのですが、対岸の道路が土砂崩れで寸断されたものがまだ復旧されていないなど、まだ爪痕が下流部でも見られました。
帰りは十津川村から大塔を抜けて五條にいたる三桁国道を走ることになったのですが、こちらも新宮からと同じく、まだまだ豪雨災害の爪痕が多く残っていました。
印象的なのはこの光景、このあと近くの集落で地域の方と少し話したのですが、こちらの地区ではこの地滑りでの被害はなかったものの、土砂ダムになっていたということでした。いわく、山が低かったからよかったということで、これより高かったらどうだったかと話されていました。そのこと以外では、やはり急病時に不安があるとのことで、救急車は新宮もしくは五條で2時間以上はかかる、ヘリで八尾と言っても夜や天候がよくないときには飛ばないなどの課題があると話されていました。少しの立ち話でしたが、今後の紀伊半島の内陸部について考えさせられるものがありました。
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