鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

選挙が終わって

2024年10月28日 12時38分00秒 | Weblog
選挙が終わりましたが、ここからどう変わるのか変わらないのか、政権がどうかという前に、私たちそれぞれがこれから取り組むべきと考えることを、私たち自身で選択して、物事の推移を見ていく必要がより高まったと思います。

例えば、朝の情報番組を見ていても、選択的夫婦別姓についてをことさらに言葉に出しているコメンテーターの方がいましたが、それを重要とする方々にとってはそうだろうと思いますが、果たして、他のことを並べたとき、いま取り組まなければいけないことなのか、私たちも全体を俯瞰して考えることだと思います。

他のことについて、人口が減る中でどのような国のあり方がより良い未来につながるのか、身近な生活から考えることは重要でしょう。

人口を減らさないとすると、外国からの人の移動が必要とされ、そのことが社会に与える影響は良い方向にも良くない方向にもあり、良くない方向については、身近な生活に与える影響があると考えられます。このようなことが、一部の人たちの利益から考えられ、政策に繋がることを良しとするかどうか、考えながら国策の動向をみる必要があるのではないでしょうか。

また、人口が減って行く中でどのような街にしていく方が良いかを考えると、防災や減災、空き家や公共交通、施設やインフラ、生活の息吹の豊かさなどといった視点が考えられるでしょう。これらを考えていくと、土地の所有など、これまでの考え方を続けられるのかということなども、議論の俎上にのるのではと考えます。

防災や減災の観点から、東日本大震災以降、気象について気候変動の影響で、雨の降り方が極端化して、ほぼ日本列島各地で毎年のように災害が発生していると思います。また、東日本大震災と能登半島地震の被害を考えても、地殻での活動によるダメージにどう向かいあうのか、真剣に考えるべきではないでしょうか。日本の成り立ちを考えても、火山噴火の影響はあり得る話ですし、温暖化
による海進もあったことです。
災害が起きてからの復旧と復興だけではない取り組みを、各地で真剣に議論すべきと考えます。国策での動きが重要でしょう。

経済や産業についても、「〜の無償化」や「〜支援」という言葉が選挙などの際に私たちに響くと考えられるところから、これからのあり方を考える必要があるように思います。私たちの多くが経済的にはもちろん、いろいろな部分で貧しくなったからと考えるかどうかで、国のあり方の考えも変わるのではないでしょうか。それは単純に、資本主義か共産主義かの議論でもないと思います。日本だけではないでしょうが、格差が前提になった経済になりすぎてはいないか、そのことも考える必要があると思います。

私たちはこれまで、安く大量にモノを手に入れたり、サービスを受けることにばかり目を向けてはいなかったでしょうか。それがデフレーションを長引かせているのではないでしょうか。それが大規模な店舗やチェーン店への動きを加速させ、身近な商店が淘汰されることになっていないか、そうしてできた地域状況は、私たちにとって豊かな社会なのか、そういう視点も持って国策をみたほうが良いのではないでしょうか。

日本は第二次大戦後、朝鮮戦争もありましたが、ある程度落ち着いた周辺環境の中でいられたことが、平和と繋がっていたと思います。しかし、同時多発テロ以降、中東をはじめとして不安定で、周辺諸国の情勢も変わる中で、どのように考えて選択するかの重要性は重くなっていると思います。

それに、旧来のメディアだけでなく、SNSなどを通じながら、私たちはプロパガンダにさらされていないかという部分も考える点に入れなければいけないのかもしれません。意思決定をする人たちが、そうなっていないかも考えどころではないでしょうか。

そしてお金のこと、財政を考えることも人事ではないでしょう。赤字国債や赤字地方債の発行がなければ、国政も地方公共団体の運営もできないという状況を、どう考えるのかは、私たち全体の課題と思います。

それを、緊縮財政の視点でみるのか積極財政でみるのか、はたまた中間で考えるのか、相当に真剣に考える責務が、国政に関わるのであれば必要でしょう。地方で関わるのも同じですが。このことに関して、現代貨幣理論での考えなどと財務省との関係からの論点がありますが、それもですがまず、政治が、そこにしがらむ人たちが、自分たちの利益のために都合よく立ち回っていないかに、厳しい目を向けないといけないのだと思います。

選挙目当てのバラマキではないか、特定の団体や業界だけの利益が優先ではないか、金額の多さにつけ込んで、中抜きや過剰な利益を得ようとされていないか、このようなことは、そうではないより多くの人たちを置き去りにしていないか、私たちも厳しい目を持って考えないといけないことでしょう。

私たちは、いろいろなことを知識に繋げながら、自分にとって大切なことを、自分なりに考えて判断すること、機会を増やすことが必要で、それがないままだと、じわじわと国だけではなく身近な地域も老いてしまい、次に繋げられないと思います。


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