「競争」という考えから離れる必要があるというところで、前回のブログは終わりました。ですが、私自身も「競争」そのもの、全ての競争意識を否定して考えているわけではありません。「競争」を精査して分類、重要なところは切磋琢磨ということは必要だと考えています。
そのまちの住民の方はもちろん、そのまちを訪れる人たちにも、すごしやすく魅力的なまちであるための「善政」を行うために、他の取り組みを参考にして真似をしたり、自分たちのまち独自の政策を立案することは大切なことです。
しかし「自治体間競争」だからと、自分たちのまちが良ければいいだけになってしまうとすれば、お互いの体力(財源)を削り合うことにつながってしまうのではないかと懸念します。
例えば、政策実現のお金(財源)をどのようにしてねん出しているのかを考えずに、「とにかく、ある自治体ではこのような政策に力を入れて人口増につながっているから、わが自治体でも真似をするべきだ。」ということばかりを表に出しても、実現するための財源ねん出を合理的にできなければ、もしかすると、次の世代への負担が前提になってしまう場合もありえます。
対象となる子どもさんにかかった医療費を公費(税金)で助成する「子ども医療費」がありますが、この政策を実施するために鈴鹿市では、独自で使い道が考えられる一般財源から4億2192万9千円を財源に充てています。
子どもが適切に医療を受けられることは本来は国がするべき政策、「子どもの権利」として国が保障するものだと、自分は考えます。しかし現在は、自治体間競争の政策になっていることに疑問はわかないでしょうか。またそれは、国がしてくれるものではなく、私たち自身がそれを選択して、国に求め実現するものだとも思います。
このような政策は、自治体間で競争するものではないはずです。
そして「競争」という言葉に縛られると、有権者受けの良い政策が優先的に選択されがちになるでしょうから、行き着く先はどこも同じようになってしまうのではないでしょうか。
また別の観点では「競争」という意識が、支えあうべきところに対する意識を低め、自分の自治体に都合のよい行動選択をしがちになることにつながる懸念があります。
市民は自治体の線引きを超えて施設やサービスを利用しているので、ある意味でお互い様の部分があるのですが、その中で考えたいことは、医療のような命や健康に関わる部分についてです。
公立病院を持っていない代わりに、地域内にある民間の病院に対して、一次救急と二次救急を支えるための補助金として毎年数千万円を支出し、二次救急を担う病院がMRIなどの機器を導入する際も数千万円の補助を行ったり、あわせて地域内に応急診療を行う施設を設置して運営している自治体があるとします。
ところが、二次救急を行っている病院の救急受け入れの状況や通院患者数を見ると、隣接している自治体からの割合がそこそこ高いことが見られていて、両自治体で形成される医療圏の中で、医療資源としても重要なことが見られるものの、隣接している自治体からは、地域内の病院に対する補助などはないとき、みなさんはどうお考えになるでしょうか。
私は、そのような場合は同じ地域の中にある医療資源として、両市で応分の補助などの支援を行い、地域医療を守るべきだと考えます。
ですが、このような場面でも「競争」的な意識や考えがどこかに潜んでいると、応分に負担することを検討するよりも、そのような支出を抑える方向に考えが向き、それに合わせた説明の論理が組み立てられてしまうのではないでしょうか。よほど、主となる自治体が隣接自治体に申し入れなどを行わなければ余計に。
そのようなことを考えると、人口が全体で減少している中で、いつまでも「競争」という意識でいては、自治体は共倒れになると考えます。
⇒ 「自治体は競争から共生へ③」につづく
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