名古屋市議会が市民税10%減税を1年のものとして議決したことに対して、名古屋市長が一夜でこのような議決を行ったことは議会の暴走だと、マスコミなどを通じて喧伝してますが、みなさんはどこかしら違和感を感じないでしょうか。
10%減税を実施するために、福祉関連予算などが縮減されることになるのであれば、そのことと比較しながら、市民生活のことを考えていくべきでしょうし、その上で議決を行うのが議会のはずです。
また、市長が10%減税について根拠があるのなら、1年間の運用を行い、市民生活への影響もなく、市長の言う効果が上がったことを受け、恒久減税を行うということでよいはずではないでしょうか。
そのようなこともなく、ただ、自分の公約を実現できないのは、議会の責任であり、議会の暴走であるというような形で喧伝することは、市長の暴走とは言わないのかと考えてしまいます。それは他の国で見られるような、独裁的で攻撃的な為政の形にもつながってしまうのではと思います。
市長がプロ野球球団の帽子をかぶり、選挙活動のように活動することが悪いとまでは言いませんが、メディアへの露出も含めれば、過剰な演出のように見えなくもないと思います。また、自分の考えに同調する人を議会に送るという動きに関与するということもあわせて、首長としての良識に疑問を持ってしまいます。
これらのことは、マスコミを通じて情報を見ているので正確ではないかもしれません。が、市長がステレオタイプの議会イメージで、議会との対立構図を描いていることに、危うさのようなものを感じます。
市民の側から自分たちが弱い立場として、自分たちが強い立場と感じる議会や議員に対して、扇動的な動きで攻撃に転じるなら、それは非常に危険なことの可能性を秘めてはいないでしょうか。
イメージを単純化し、短い言葉で表現されるもので導かれた結果、その後大きな社会的混乱につながる可能性があることは、過去の出来事にも見えるのではないでしょうか。
名古屋市長が‘庶民’と表現するとき、どのような人たちを考えているのかはわかりませんが、やはり「 市民 」で考えるべきではと思います。その「 市民 」は情報に流されるのではなく、自ら考えることが大切だと思います。
「自分はしようとは思わないけれど、このことはこうあるべきだ」という考えではなく、市長にも議員にもなれるのですから、「自分がもしその立場になったらどうなのか?」という視点で、市民が客観的な情報を取り入れ考えることが大切と思います。
10%減税を実施するために、福祉関連予算などが縮減されることになるのであれば、そのことと比較しながら、市民生活のことを考えていくべきでしょうし、その上で議決を行うのが議会のはずです。
また、市長が10%減税について根拠があるのなら、1年間の運用を行い、市民生活への影響もなく、市長の言う効果が上がったことを受け、恒久減税を行うということでよいはずではないでしょうか。
そのようなこともなく、ただ、自分の公約を実現できないのは、議会の責任であり、議会の暴走であるというような形で喧伝することは、市長の暴走とは言わないのかと考えてしまいます。それは他の国で見られるような、独裁的で攻撃的な為政の形にもつながってしまうのではと思います。
市長がプロ野球球団の帽子をかぶり、選挙活動のように活動することが悪いとまでは言いませんが、メディアへの露出も含めれば、過剰な演出のように見えなくもないと思います。また、自分の考えに同調する人を議会に送るという動きに関与するということもあわせて、首長としての良識に疑問を持ってしまいます。
これらのことは、マスコミを通じて情報を見ているので正確ではないかもしれません。が、市長がステレオタイプの議会イメージで、議会との対立構図を描いていることに、危うさのようなものを感じます。
市民の側から自分たちが弱い立場として、自分たちが強い立場と感じる議会や議員に対して、扇動的な動きで攻撃に転じるなら、それは非常に危険なことの可能性を秘めてはいないでしょうか。
イメージを単純化し、短い言葉で表現されるもので導かれた結果、その後大きな社会的混乱につながる可能性があることは、過去の出来事にも見えるのではないでしょうか。
名古屋市長が‘庶民’と表現するとき、どのような人たちを考えているのかはわかりませんが、やはり「 市民 」で考えるべきではと思います。その「 市民 」は情報に流されるのではなく、自ら考えることが大切だと思います。
「自分はしようとは思わないけれど、このことはこうあるべきだ」という考えではなく、市長にも議員にもなれるのですから、「自分がもしその立場になったらどうなのか?」という視点で、市民が客観的な情報を取り入れ考えることが大切と思います。
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