人口が減少する今の世の中で、同時進行している生成系AIに象徴される事象は、人の存在そのものを問うことになっている。産業革命以降の世の中は、人の力を使うことを減らしながら機械の導入で生産を拡大し、それにより経済も拡大、それが社会の拡大につながってきたことは間違いないところ。その動きが人口が増えることとつながっていたと考える。ある意味で実物と繋がっていた。
しかし今の社会は、株式や為替などの金融によりつくられる経済の拡大に合わせて拡大。株がまだ実物を伴っていた時はかろうじてよかったものの、電子空間での数字のやり取り、しかもコンピューターが人間できる以上のスピードで行うようになった現在、本当にそれにより形成される経済は実態があるのか、社会はどうなのかという問いかけが少ないのではないだろうか。
しかも、刷ればその時点で価値があると考えられている貨幣について、その価値はどこからきているのかと考えることはあるだろうか。過去から現在まで、ハイパーインフレにより貨幣価値が暴落したことがあることを考えたりするだろうか。
知らずに不安定な方向に動いているだけでなく、知っていて不安定さが増す方向に動かしているのであれば、将来世代に対して罪深いことかと考えたりもする。
そのようなことを考えていると、気候変動や地震など自然災害が多発する時代の中で、私たち自身が価値を問い直して、今のベースとなっている資本主義のアップデートを行いながら、次の社会を形づくる責任があるように思う。
その時に一番先に考えることは、金融経済空間を見直すことかもしれない。
私たちが生きるために、電子データは必要なのでしょうか、株は必要でしょうか。アニメ「アキラ」の1シーンですが、混乱の中、欲深いキャラクターが株券をアタッシュケースに詰めて逃げ出すものの、薬を飲むことができず最後を迎えるというものがあります。株券より薬が必要だったのでしょう。
私たちはどうでしょうか。。生物として必要なのは〝食〟ではないか、食べることは避けられないでしょう。しかし、それを支える産業は、金融経済と比べてどのような扱いになっているかを考えると、今の社会の矛盾が凝集されているように考えます。
そんなことを考えると、私たちは〝食〟という視点から社会を考え直す必要に迫られているように思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます