今日、高校生のバイク通学緩和への取組を考えるために三重県庁に行き、県教育委員会で短い時間ですが話を聞きました。バイク免許の取得の関しては、三重県教育法規の中で規定されており、免許の取得を否定はしていないことがわかりましたが、別の課題が見えました。
というのは、今年度において三重県高校PTA連合会と県生徒指導連絡協議会とで、「3ない運動」のチラシが高校などに配布されているということです。「3ない運動」はご存知の方もいらっしゃると思いますが、「バイクの免許を取らせ“ない”」、「バイクに乗らせ“ない”」、「バイクを買わせ“ない”」で構成される運動ですが、そもそもこの運動自体に疑問点が多いのではないでしょうか。
前提として、バイクが覚せい剤やマリファナなどのドラッグであったり、いわゆる危険薬物などであったりするなら、このような運動は意義のあるものだと思います。
しかし、バイクはそのような類のものではなく、れっきとした日本を代表する産業のはずですし、モータースポーツの分野でも世界的に誇れるもののはずで、それがこのような運動を行ってまで、社会的に抑制されるものではないと、私は思います。
「3ない運動」について個人的な考えを書きます。
まず「免許を取らせない」に関して、法的に16歳から免許の取得が可能であるものを、このような運動で規制することの意義はなにかと考えます。校則によりそれが制限されうるという考えもありますが、そうであるなら、通学などの場面はもちろんですが、余暇時間でのあり方も含め、やはり広く意見を聞き、その上で考えが整理されるべきでしょう。
また、公共交通が密にある都市部と違い、三重県では自動車などのモビリティでの移動が必須といえます。高卒で働くとなれば、自動車免許を取得する学生も多いことを考えれば、高校で2輪免許を取得することは、社会に出るための教育として重要ではないかと考えられます。それを制限することがはたしてプラスになるのかと考えれば、そうではないと思います。
「買わせない」と「乗らせない」について、そもそも個人の自由である領域を、学校などが制限すること自体に疑問を持つべきではないかと思います。学校による教育は、学校外でも適用されうるという考えもあるようですが、法律などの社会規範に則っているのであれば、過度に学校が制限することは、人権面から考えていかがなものかと思います。
もちろん、バイクに関して「3ない」の考えで行動するべきだという方もいらっしゃると思います。その場合は、それぞれの家庭で判断・行動して頂けばよいのであり、もしその考えを一般化するような動きをされるというのであれば、民主的なものではないと思います。少数意見の尊重が民主主義では大切だと思いますが、3ない運動での動きは、およそそれから外れていると感じます。
鈴鹿市、三重県には鈴鹿サーキットがあり、サーキットには50年以上の歴史が、バイクレースである鈴鹿8耐も来年には40回大会を迎えるなど、市民や県民の多くの方々には意識されにくいかもしれないですが、モータースポーツやものづくりといった文化面、観光や産業といった経済面など、税収などで大きな恩恵を受けてきていることは事実のはずです。そのことをなかったようにして、今後も「3ない運動」やそれにそった動きを教育界で行うとすれば、非常に偏った教育を行うことになるのではないでしょうか。
鈴鹿市に住む私たち、三重県に住む私たちは考えるべきなのかもしれません。
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