ウガンダ代表の陽性者判明で橋下氏は「こういう状況を見てもらえれば、今までずっとPCR検査をいつでも誰でもどこでもみんなでやることによって、陽性者を隔離するなんてことを言っていた人、たくさんいますけど、できないんです、1回ぐらいのPCR検査では。何回も何回も繰り返すことによってしか対応できない。むやみに検査拡大を言っていた人たちは、これを見て反省してもらいたい」と指摘したらしいが、その内容は論理性に欠ける。
彼はどうやら、一度ぐらいPCR検査し陰性でも次に検査すれば陽性に変わる可能性があるから、陽性となった者だけを隔離しても無意味だといいたいようだが、これは論理的におかしい。
PCR検査は陽性者を見過ごす可能性は確かにあるが、街中を徘徊する隠れ陽性者を発見し隔離することで、少なくとも市中をうろつき感染を媒介する陽性者を減らすことは可能である。その意味ではPCR検査をいつでもどこでも実施することは感染者を減らすことに有効である。
勿論、多くの陽性者を発見することになるので、彼らの隔離場所を整備かる必要があることはいうまでもない。隔離場所も無いのにPCR検査だけをして陽性者を見つけてもそれは意味がない、橋下氏がそれを言っているのなら論理的だが、その問題に触れずPCR検査を無駄と断じることは非論理的である。
彼はどうやら、一度ぐらいPCR検査し陰性でも次に検査すれば陽性に変わる可能性があるから、陽性となった者だけを隔離しても無意味だといいたいようだが、これは論理的におかしい。
PCR検査は陽性者を見過ごす可能性は確かにあるが、街中を徘徊する隠れ陽性者を発見し隔離することで、少なくとも市中をうろつき感染を媒介する陽性者を減らすことは可能である。その意味ではPCR検査をいつでもどこでも実施することは感染者を減らすことに有効である。
勿論、多くの陽性者を発見することになるので、彼らの隔離場所を整備かる必要があることはいうまでもない。隔離場所も無いのにPCR検査だけをして陽性者を見つけてもそれは意味がない、橋下氏がそれを言っているのなら論理的だが、その問題に触れずPCR検査を無駄と断じることは非論理的である。