日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

金儲けの為なら信じてもとないハラルフードなどを受け入れる姿勢は禍根を残す

2024-04-01 10:05:07 | 宗教
イスラム人口の増加と労働者や観光客としてのイスラム教徒の増加で、日本国内においてもハラルフードを提供する店が増えている。

イスラム教の教えで食べてよいとされている食べ物を「ハラルフード」と呼び、豚やアルコールが禁じられているだけでなく、その調理方法についても細かい規定があり、牛や羊などの肉は食べてもよいとされているが、イスラムの教えに則った方法で屠畜・加工された肉でなければならないとされている。

その中身については我々日本人からすれば何の合理性も根拠もない滑稽なものであるが、増加するイスラム教徒に対応して金儲けをする為にハラルフードを提供するところが増えている。

しかし、これは単に金儲けの為の手段に留まらず、大きな危険性を秘めている。イスラム教徒にとって食べ物は、ただの好き嫌いの問題ではなく、それは、生き方そのものと言っても過言ではない。

神が個人の服装や食事、行動に常に規制する中世的なイスラム世界の価値観は平等と民主主義を前提とする今の日本の価値観とは相いれない。

少子化で人口減が避けられない日本が信じてもいないイスラム的価値観を金儲けの為であれ日本の中に浸透させることは、今後のイスラム人口の増加と相まって、日本社会と文化にとって大きな危機と混乱を招くことは避けられないだろう。

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宗教というのは人類にとっての不治の病

2023-11-21 09:25:56 | 宗教
宗教団体「エホバの証人」の信者による子どもへの体罰や輸血拒否を巡り、「エホバの証人問題支援弁護団」は20日、信者の親を持つ宗教2世の元信者らを対象とした調査結果を公表した。9割の人がむち打ちを受けたとし、輸血拒否の意思表示カードも8割が持っていたと答えた。

新興宗教が行う異常な行動についてはオウムや統一教会、今回問題となっているエホバの証人等枚挙にいとまがない。

しかし、宗教が人類社会にもたらす悪影響は何も新興宗教だけではない。日本の歴史においても比叡山の僧兵や一向一揆等、宗教が原因での死者は多数に上る。

しかし、海外においてはその弊害はより顕著である。キリスト教がその歴史の中で殺した人数は数億人を下らない。キリスト教が穏健化した現在においてはその系統に属するイスラム教が世界中で人を殺し続けている。

死を恐れ自然の驚異に怯えてきた人類が宗教や神に助けを求めるのは人類の宿業である。しかし、科学が進歩し多くの問題を神ではなく人類が解決できる現在に至っても、過去の神は未だに人類の心に生き続け悪影響を与え続けている。

未だに中世的な心で神を信じ、進化論を否定し科学より神の言葉を重視する人口が増加し、科学的思考と民主主義を身につけた人類が少数派となりつつ現状は、人類の未来に暗い影をもたらしかねない。
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信仰は自由でいいが、国家が宗教法人の税金を免除する必要は何も無い

2022-08-30 09:50:40 | 宗教
安倍元首相の暗殺以来、旧統一教会の献金問題が連日騒がれているが、それは何も旧統一教会だけの問題ではない。

旧統一教会ほど露骨でなくても宗教団体と称するところでは多かれ少なかれ同様の行為が行われている。

何を信じるかは個人の自由であり、それを国家が制限することは許されない。しかし、存在するか否かを客観的に証明することは不可能な存在である神を信奉する宗教団体に国が便宜を図る必要性は何もない。

マルクスが宗教は麻薬であると看破したが、その当時のように国家が宗教を利用して国民を制御していた時代と異なり、今の日本では宗教が統治に貢献することは何もない。

とすれば、宗教に免税という特権を与える理由もない。臺やお守りやその他を販売して得た金は勿論、献金と言う名の寄付金やお布施から賽銭に至るまで、宗教団体が得る金は全て課税対象とすべきである。

信仰の自由は個人の心の自由の保護であり、信仰対象である宗教団体を保護することではない。

今回の旧統一教会の問題を機に、全ての宗教団体の免税特権を廃止すべきである。そうすれば財政改善にも大きく寄与できるだろう。

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宗教がもたらす悲劇

2022-07-14 10:04:33 | 宗教
今回の安倍元首相の暗殺を受け、旧統一教会の悪事が再び注目を集めている。信仰の名の下に多額の献金を迫り家庭を破壊してしまうなど、本来の宗教の趣旨に大きく外れているように見える。

しかし、宗教の歴史を見るとむしろ血なまぐさい事件が多く、むしろ宗教とそれに基づく狂気というものは、一体のものであるかのように思える。

現在はテロリストというとイスラム教の名の下に行われることが多いが、過去にはキリスト教の名の下に同じような虐殺行為が行われてきた。

ヨーロッパの宗教戦争、魔女狩り、神の名の下に実施されたアメリカ原住民の虐殺など例には事欠かない。

科学の進歩と教育の普及によって宗教的な主張が客観的に判断され、聖書や経典の内容を盲信する者は減少してきたが、今21世紀になってその反動が起こっている。

アメリカにはいまだに天動説や、神が短期間で人間を作ったと信じている者が少なからず存在し、そこまで極端でなくても聖書の記述を絶対的価値とし中絶を禁止するような勢力が増加しつつある。

イスラム圏でもトルコのようにかっては宗教より科学を重視してきた国においても宗教的価値観を絶対的とする勢力が増えている。

世界的に格差が拡大する中で、落ちこぼれた貧困層が神に頼ることにより、宗教がますます原理主義的に過激になりつつある。

絶望と不安が神を求め、その教義や行動をますます過激にしていき、多くの不幸を再生産する。
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日本も安楽死について真剣に考えてもいいのでは

2020-07-27 10:16:39 | 宗教
難病のALSを患う京都市の女性が殺害されたとされる嘱託殺人事件が発生した。この犯人を擁護するつもりはないが、
安楽死あるいは尊厳死と言われるものについて日本ではタブー視されているが、そろそろ真剣に考えるべき時期ではないだろうか。

日本では命は絶対視され、どんな状態であれ生きていることが善であり、本人であっても命を奪うことは絶対的な悪とされている。

しかし、単純に生きていることが絶対的な善あり、どんな場合においても死が悪であるという考えには疑問がある。

人は必ず死ぬ。この運命は誰にも避けられない。短いか長いかの別こそあれ、人間は最後には全員が悪に捕らわれことになる。

短命よりも長生きする方が絶対的に幸せであると断言することもできない。人生にとっては単に生存することよりも如何に生きていくか
ということがより重要である。

ALSは厳しい病気である。自分で何かすることはほとんど何もできなくなる。この状態でも人生に喜びを感じることのできる人は多く存在し、
彼らに生きてほしいと願う人も多く存在する、そんな人は生きていけるし生きていくべきである。

しかし、ALSに限らないが、病気で体の自由を失い人生に希望を持てない者も少なからず存在する。他人が生きることを望みどんなに説得しても、
本人にとっては生きる意味を見出せないことがある。

この場合、その人にとって残りの人生は生き地獄に他ならない。人は遅かれ早かれ必ず死に、人生の価値はその人が生きがいをもって
生きられるか否かにかかっているとすれば、安楽死や尊厳死というものが許容されてもいいのではないだろうか。
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