日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

もはや教育委員会という組織など存在価値はない

2022-04-28 09:29:00 | 教育
教育委員会は敗戦後アメリカ占領軍により、教育の民主化、自主性を確保する目的で導入されたものであり、政治からの教育の独立を理念としている。

しかし、近年の校内暴力、陰湿ないじめ、いわゆる問題教師など、一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると、各地域の教育行政に責任を持つ合議制の執行機関としての自覚と責任感、使命感、主体性に欠け、責任逃れと事なかれ主義に終始しているといわざるを得ない。

大阪市立小5年の女子児童が2019年、いじめを受けたと示唆するメモを残して自殺した問題で、市の第三者委員会は27日、女児が同級生らのいじめを受けていたと認定した上で、自殺に至る要因の一つだったとする調査報告書を市に提出した。「いじめ行為は確認できなかった」とする市教委や学校側の判断を覆した。

教育委員会という組織はいじめ事案があっても、それをできるだけ過小評価し事件化したがらない傾向がある。

2011年の大津いじめ事件では、大津市の教育委員会は、全校アンケートで、自殺の練習を強要されていたとの同級生らの回答を公表せず、いじめと自殺との因果関係は判断できない、と主張した。

2005年、神戸市立の小学5年生だったAさんが同級生13人から、殴る蹴るの暴行を受けたり教科書を破られたりするなどの嫌がらせを受け、さらに約1年間にわたって50万円以上を脅し取られたという事件なおいても、神戸市教育委員会はこれまで一貫して「十分な調査を行えず、いじめがあったかどうか判断ができない」「いじめの調査文書はない」と主張してきた。

しかし、最近MBSが教育委員会が無いと主張してきた資料が教育委員会内部で保管されていたことを発見したことで、教育委員会の嘘と隠蔽が明らかになった。

これらの事例で見る限り、教育委員会とは教育的配慮等のきれいごとを並べ、物事をあいまいにし責任逃れをしたがる組織である。一刻も早く、このような不要な組織を解体することが教育改革の第一歩である。
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文科省主導の大学改革の失敗

2021-04-09 10:03:13 | 教育
大学改革は今年で30年になるが、近年日本の研究開発力が落ちている。世界の主要学会誌への日本の論文の掲載数は、2000年ごろは5位以内だったが今や10位近くまで落ちた。法人化で近視眼的な成果主義が導入されたことが原因の一つである。短期で結果の出る研究にばかり予算がついた結果、基礎研究に回る予算が減少している。

改革は、文科省から通知や調査として現場に降ってくる。予算を握る側にこと細かに言われるうち、各大学は文科省の移行を忖度して、根拠も必要性も疑わしい改革を形式的かつ過剰なまでに実施していく。文科省は、次々に横文字の改革の小道具を現場へ下ろす。だが、成果を具体的に検証している気配はなく成果につながっていない。

90年に全国約9万人だった大学院生は、91年の大学審議会答申が2倍以上へ増やすよう求めると急増して、ピークの2011年は約27万人となった。

しかし、大学審や文科省が、院卒者の多い国で彼らがどんな社会的利益をもたらしているか、日本でどの程度、院卒者の需要が見込めるかなどを詳細に検討した形跡はない。結果は、大学院を出ても就職先のない高学歴ワーキングプアの量産かる結果となっていめが、文科省にはこの失敗の反省もない。

文科省の官僚中心の大学改革は明らかに失敗であり、改めて方針を見直す必要かある。このまま放置し続ければ、日本の科学技術や産業の衰退に直結する。

毎日新聞 大学改革30年か参照
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