いつの時代も難所であることは引き継がれる。
旧国鉄時代、日本屈指の難所であった「柳ケ瀬線」。地元敦賀と滋賀県木之本を結ぶ僅か26.1kmの路線。
遠くは近江の国(琵琶湖)と越前若狭の国を結ぶ運河計画は平清盛の時代からあったとされる物流計画。
念願叶い、鉄路が開業したのが明治15年(1882年)。
しかし、この柳ケ瀬線は開業後も事故が絶えず昭和39年(1964年)に全線廃止となる。
(最も、この事故によって敦賀機関区は蒸気機関車に数々の独自の改良を加え、全国の機関区に
その技術が広まり現在、運転中のSLにもその装備が受け継がれている)
今でもR365沿いに残る、旧中之郷駅のプラットホーム。
現在の柳ケ瀬は昔の面影を残しつつも幾度かの大火のせいで古い建物はほとんど残っていない。
地元の人にお話を聞くと、その土地柄(豪雪地帯)のせいで当時は茅葺の家が多かったため大火の度に
燃えてしまったと言う。
唯一残っているのがこの「柳ケ瀬の関所」。。。ここより少し北側にあったものを明治の初め、この場に移築している。
江戸期、柳ケ瀬は北国街道と越前若狭街道の分岐点だったため彦根藩の関所が設けられていた。
当時、彦根藩は越前若狭へ婦女子が入ることを嫌い「女改関所」とも称され、先ず婦女子は通れなかったらしい。
上の写真で一際目をひくのが赤い郵便ポスト(正式名:郵便差出箱1号丸形)。今でも現役です。
実は奥に残る建物は「初代:柳ケ瀬郵便局」であった建物で明治11年10月10日、明治天皇が
北陸東海巡幸の際、昼食を摂った場所でもある「明治天皇行在所」。
今でも住んでおられるため、許可を頂き外観のみを見せて頂く。
現在でもこの地区は2メートル越えの積雪が毎冬あると言われ、毎冬数回の屋根の雪下ろしは必ず行うと家主が言う。
しかし、移築された関所を含め、今でも当時の状態を保っていることには驚かさせる。。。
鉤釘や飾り紋に整然と止まる燕たちも何故か由緒正しき燕にみえたりも。。。