先般、NHKの世論調査において「原爆投下日を知らない7割」という報道をみて唖然とする。
しかし、よくよく調べてみると「元号」まで答えられない場合は不正解扱いとなったらしく誇張報道と
個人的には判断した次第で、今の報道も100%信用してはダメという良い例。
「昭和20年」と答えられなくても「1945年」で十分だと思うし、最悪「8月6日」と答えられれば良しとも思う。
ただ、日本人として「8月6日」と「8月9日」、それに「8月15日」という日付けだけは多くの人々の犠牲の上に
今の日本という国が成り立っている以上、覚えているべきだと思う。
先日の「難所 柳ケ瀬」の折のトップ写真、「旧中之郷駅のホーム跡」には珍しく慰霊碑が隣接する。
花は絶えず供えられ、慰霊碑の後ろには日の丸がなびく。
写真の後年作られた駅標の裏にはこのようなことが書かれている。
「このプラットホームから多くの若者たちが出征して行き、また、戦火に倒れ無言の帰還をした若者たちもまた
このプラットホームに戻って来た」
先月末、ジミー・ペイジが44年ぶりに「平和記念公園」を訪れ、正装で慰霊碑に献花を行う。
1971年、当時初来日の「レッド・ツェッペリン」は広島においてチャリティーコンサートを開く。
彼らは言った「我々はここ広島に来るために日本に来た」と。(その時の収益金は被爆者に寄付をしている。)
では今宵はジミー・ペイジに敬意を表し、この曲をご紹介してお別れです。