GW中、唯一の観光というか勉強というか、最終日に訪れるは南越前町河野の北前船主の建物群の内の「右近家」
ではない「中村家」。個人的にはこの建物が右近家よりも好きなため。
実は相当前に一度、見学の機会に恵まれた経緯はあるのですが、その時は2階部分及び3階望楼は観ることが出来なかった。
それが先月4月末から当時、観れなかった部分が一般公開という情報を元に楽しみにしていた。それが・・・。
どうも間違った情報のようで、4月末その日限りの公開だったことが訪れてみると知らせれる・・・(悲)
まぁ~、それは仕方がないことで、入館料¥300円も払ったことだし隅々まで拝見させてもらう。
(因みに以前、見学した折は確か入館料も払ってない記憶があり、土花亭事務所の肩書で特別に見せてもらったような)
先ずは玄関入ってすぐの「だいどこ」。この吹き抜けを伴った「だいどこ」は記憶にも残っている。
そして、ここは「おいえ」。当主家族が食事をとるところで、一畳分の板床は給仕の配膳スペースとなる。
正面の達磨時計(メーカー不明)をじっくり観ると、振子室に昭和一桁の時計店での修理記録書が貼ってあった。
多分、数十年動いては無さそうなのですが、こういうのを観ると土花吉の性で動かして上げたくなったり。(笑)
そして、「次の間」。狩野派の絵師による襖絵と「冬青舎」の扁額は松平春嶽公の書?である。
思わず、案内人の方に「コレって、当時の紙ではないと思われるので複製ですか?」とツッコミを入れてしまうと
(実は複製で本物は蔵に所蔵されている)と、申し訳なさそうな返答が。
ところで、この「冬青(とうせい)」とは「モチノキ」のことを言い、縁側脇の庭には現に立派な「モチノキ」があり、
これを春嶽公がここに訪れた折に見て書いたとされる。(写真、左手の巨木がモチノキ)
そして、「本座敷」。少しでも日本建築を齧ったヒトは直ぐに気付くであろう、この違和感。
本来、左手に縁側がある場合、左から書院、床、床脇の筈が全く逆の配置になっている。
まぁ~、この理由については本建物を実際、訪れてみて貰って分かって頂くとして、要所々に「黒柿」が
使われていたりで贅沢な造りとなっている。
そして、ここが2階へ上る総欅の階段と、右側の3階望楼へ上るR付ササラ桁の同じく総欅の階段。
上りたかったですねぃ・・・(ポツ)。因みにこの辺りのディテールは完全に洋風建築を模している造り。
「右近家」ほどではないにしろ、やはり「洋風」を取り入れたがる時代だったんでしょうねぃ。
こちらは「新座敷」。後年、増築されたであろう部分なので、あっさりとしている。
そして、「セドクラ」。かたかなでの「ナカムラ」の漆喰の浮き文字が「違い鷹の羽」共々、黒漆喰に映えてます。
因みに基礎石は定番の「笏谷石」を使用。未だまだ、紹介し切れてないのですが「望楼」を見れたら
又、訪れたい「中村家住宅/国重要文化財」。
ducakichi・Instagram
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます