Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ミュンヘン:アイーダ

2010年11月27日 | 音楽
 2日目はバイエルン州立歌劇場の「アイーダ」。プログラムをみたら、指揮者がジョン・フィオーレJohn Fioreに変わっていた。ホームページではパオロ・カリニャーニになっていた。ジョン・フィオーレは、ライン・ドイツ・オペラの音楽監督をしていたころに、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」をきいたことがある。とてもよかった。

 前奏曲が始まると、紗幕のむこうに数人の兵士が並んでいて、それぞれ女奴隷を抱え、その長い髪を剣で切り落とす。紗幕が上がると、身を寄せ合って怯えている女奴隷を若い兵士たちが奪っていく。当時(紀元前12世紀)の女奴隷の置かれていた境遇はまさにそうだったろう。

 舞台装置はきわめてシンプルで抽象的だ。色彩は白と黒と灰色に統一されている。エジプト王とその娘アムネリス、そして兵士ラダメスにだけは金色が使われている。

 ショッキングだったのは第1幕第2場、神に勝利を祈る場面。巫子の膝には生贄の兵士が横たわっている。司祭ランフィスによって頸動脈を切られ、恍惚とした表情だ。やがて息を引きとる。巫子は兵士の血をうけた器をもって立ち上がり、兵士たちの剣にその血を塗っていく。

 クリストフ・ネルのこの演出は、血塗られたアイーダだ。全編いやというほど血が流れる。アイーダの時代が今とちがってどういう時代だったかを語る意図だろう。舞台装置が白と黒と灰色のモノトーンなのも、血の赤を鮮明にするためだ。

 最後の場面にも驚いた。地下牢に生き埋めにされたラダメスのもとに現れたアイーダは、手首を切っている。血にまみれた手首を押さえながら、ラダメスに抱かれて息絶えるアイーダ。この場面の音楽は、魂が肉体から離れていくような音楽で、こういう音楽をかいたヴェルディには驚くほかないが、その音楽が具体的な死として視覚化されていた。

 これほど夥しい血が流れると、アイーダとラダメスの悲劇が、アムネリスを加えた三角関係によるものではなく、人知をこえた時代性のためという気がしてくる。いいかえるなら、現代にも通じる心理劇ではなくて、圧倒的な叙事詩になる。

 ジョン・フィオーレの指揮は、イタリア・オペラ的ではなかったが、このような演出にはよく合っていた。アイーダはMicaela Carosi、ラダメスはWalter Fraccaro、アムネリスはLuciana D’Intino。合唱にも感心した。新国立劇場の合唱も優秀だが、激しい表現力において一日の長があった。
(2010.11.19.バイエルン州立歌劇場)
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