ブロムシュテットが指揮するN響の定期演奏会Cプロ。先週のAプロ(オネゲルとブラームス)はSNSで多くの方に絶賛されたが、わたしはブロムシュテットのオーケストラのコントロールに危惧をおぼえた。今回は気が重かった。だが杞憂だった。今回は気力があふれてオーケストラとがっぷり四つに組んだ。
1曲目はシューベルトの交響曲第7番「未完成」。冒頭の低弦楽器の序奏が、暗い音色でそっと呟くように演奏された。思わず身を乗り出した(もちろん比喩的な意味だが)。続く弦楽器の細かい刻みが快適なテンポで進む。その刻みに乗ってオーボエが第1主題を吹く。抑えた音量の中に豊かな抑揚がある。音楽が停滞せずに進む。彫りが深い。緊張した静かなドラマが続いた。
第2楽章も第1楽章のペースを引き継いで演奏された。第1ヴァイオリンが奏でる第1主題は過度に甘美ではなく、むしろ厳しさがある。中間部の激しさは第1楽章の展開部を彷彿とさせる。第1楽章と第2楽章がまとまって一つの世界を提示する。
終わった後はため息が出た。オーケストラのピッチが厳格に合い、硬い鉛筆の先で細い線を描くような演奏だ。迷いはまったくない。厳しい線描だ。その線の中に濃やかなニュアンスがある。めったに聴けない「未完成」の演奏だ。わたしが今まで聴いた数多くの「未完成」の中で忘れられない演奏になるのはまちがいないだろう。
2曲目はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。冒頭のホルンの序奏が、朗々と吹くのではなく、鼻歌のように吹いたのがおもしろい。もちろんブロムシュテットの指示だろう。主部に入ると、骨格のしっかりした堂々たる演奏が続く。弦楽器は16型だ。「未完成」は14型だった。わたしは14型くらいのほうがシューベルトには良いと思うが、そこはブロムシュテットの好みだろう。
第2楽章は一貫してオーボエの吉村結実さんが名演を聴かせた。ほとんどオーボエ協奏曲のようだったというと語弊があるが、そのくらいの存在感があった。
第3楽章、第4楽章と気力が横溢したスケールの大きい演奏が続いた。ブロムシュテットのスタミナを気遣ったが、その心配は無用だった。第4楽章の最後に出てくるトゥッティの、ドー、ドー、ドー、ドーの4連発の充実した音に身震いがした。あの音が当日のクライマックスだった。一夜明けた今もわたしの頭の中で鳴っている。ブロムシュテットとN響がしっかり嚙み合ったから生まれた音だろう。ブロムシュテットは97歳というが、そんな年齢を超越した音だった。
(2024.10.26.NHKホール)
1曲目はシューベルトの交響曲第7番「未完成」。冒頭の低弦楽器の序奏が、暗い音色でそっと呟くように演奏された。思わず身を乗り出した(もちろん比喩的な意味だが)。続く弦楽器の細かい刻みが快適なテンポで進む。その刻みに乗ってオーボエが第1主題を吹く。抑えた音量の中に豊かな抑揚がある。音楽が停滞せずに進む。彫りが深い。緊張した静かなドラマが続いた。
第2楽章も第1楽章のペースを引き継いで演奏された。第1ヴァイオリンが奏でる第1主題は過度に甘美ではなく、むしろ厳しさがある。中間部の激しさは第1楽章の展開部を彷彿とさせる。第1楽章と第2楽章がまとまって一つの世界を提示する。
終わった後はため息が出た。オーケストラのピッチが厳格に合い、硬い鉛筆の先で細い線を描くような演奏だ。迷いはまったくない。厳しい線描だ。その線の中に濃やかなニュアンスがある。めったに聴けない「未完成」の演奏だ。わたしが今まで聴いた数多くの「未完成」の中で忘れられない演奏になるのはまちがいないだろう。
2曲目はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。冒頭のホルンの序奏が、朗々と吹くのではなく、鼻歌のように吹いたのがおもしろい。もちろんブロムシュテットの指示だろう。主部に入ると、骨格のしっかりした堂々たる演奏が続く。弦楽器は16型だ。「未完成」は14型だった。わたしは14型くらいのほうがシューベルトには良いと思うが、そこはブロムシュテットの好みだろう。
第2楽章は一貫してオーボエの吉村結実さんが名演を聴かせた。ほとんどオーボエ協奏曲のようだったというと語弊があるが、そのくらいの存在感があった。
第3楽章、第4楽章と気力が横溢したスケールの大きい演奏が続いた。ブロムシュテットのスタミナを気遣ったが、その心配は無用だった。第4楽章の最後に出てくるトゥッティの、ドー、ドー、ドー、ドーの4連発の充実した音に身震いがした。あの音が当日のクライマックスだった。一夜明けた今もわたしの頭の中で鳴っている。ブロムシュテットとN響がしっかり嚙み合ったから生まれた音だろう。ブロムシュテットは97歳というが、そんな年齢を超越した音だった。
(2024.10.26.NHKホール)