Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

蝶々夫人

2014年02月03日 | 音楽
 新国立劇場の「蝶々夫人」。これも2度目だが、「カルメン」とちがって、もう一度観てもよいと思った。なにがちがうかというと、やはり演出だ。あの演出はよかったという記憶がある。

 2度目だが、これはいいと思った。余分なものをそぎ落として、究極のドラマを浮き上がらせた演出。「カルメン」の場合は群衆の一人ひとりにさまざまな動きを付与した遠心的な演出だったが、こちらはヒロインの心理に焦点を絞った求心的な演出だ。

 これは演出家の資質のちがいに由来すると思う。ともに演劇畑の人だが、「カルメン」の場合の鵜山仁はシェイクスピアの「ヘンリー八世」3部作で成功したように、叙事的な資質の持ち主ではないだろうか。一方、「蝶々夫人」の栗山民也はユージン・オニールの「喪服の似合うエレクトラ」で成功したように、ドラマを掘り下げて表現するタイプのような気がする。

 個々の場面でも、なるほどと感心する場面があった。たとえば「ある晴れた日に」。蝶々さんは桜の花びらの吹き溜まりにひざまずいて歌い始める。大方の予想を――いい意味で――裏切る演出だ。またピンカートンの上陸を待つハミング・コーラスの場面では、障子に穴をあけて外を見るのではなく、蝶々さんは丘に登って港を見つめる。この演出のもっとも印象的な場面だ。

 これらの場面はすでに見ているわけだが、2度目になると、「そうだ、そうだった」と思いだすとともに、2度目にもかかわらず、新鮮さを失っていないことに感心した。

 また、演出もさることながら、この公演で一番感心したのは、じつは指揮者だ。ケリー=リン・ウィルソンKeri-Lynn Wilsonという指揮者は、ニュアンス豊かな息遣いをもった指揮者だ。これは天性のものだと思う。率直にいって、「カルメン」のときの指揮者とは‘筋のよさ’で数段上だ。カナダ生まれの女性指揮者。オペラにたいする適性はそうとうなものだ。

 蝶々さんはアレクシア・ヴルガリドゥAlexia Voulgaridou。初日を降板したせいか、登場の場面では緊張しているように感じたが、音楽が進むにつれて緊張が解け、第2幕では迫真の歌唱と演技だった。ピンカートンのミハイル・アガフォノフもすばらしく、またシャープレスの甲斐栄次郎も前回(2011年)よりさらによかった。

 一言でいって、わたしは「蝶々夫人」の完璧な上演を観たのではないかと思った。
(2014.2.2.新国立劇場)
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