Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新国立劇場「ウィリアム・テル」

2024年11月29日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「ウィリアム・テル」。ロッシーニのオペラは好きなので、機会があれば観てきたが、「ウィリアム・テル」は初めてだ。事前にCDを聴き、流れをつかんだが、実際に観ると想像以上のオペラだった。

 まず例の序曲。中学生のころに初めて聴いたクラシック音楽のひとつだ。それが(若すぎる)最晩年のロッシーニの、簡潔で透明感のある名作だとは、中学生のわたしには思いもよらなかった。幕開けの合唱の後、テル(バリトン)とアルノルド(テノール)の二重唱になる。マッチョな男声二重唱だ。まるでヴェルディの音楽のようだ。第1幕フィナーレに展開する激しい合唱。それもヴェルディだ。パワーで押す音楽。ロッシーニの華麗でスポーツ的な快感のある音楽は影をひそめる。

 第2幕フィナーレと第3幕フィナーレも激しい合唱で終わる。だが最後の第4幕フィナーレは、この世のものとは思えない白光のさす静謐な音楽になる。その音楽に至ってロッシーニは、自らが先鞭をつけたヴェルディの音楽を通り越して、だれも踏み込んだことのない領域に入ったような感がある。

 補足すると、第1幕のバレエはブリテンが「マチネ・ミュジカル」で使った曲ではなく、今回は別の曲が演奏された。また男声主体のこのオペラにあって、第3幕のマティルド(ソプラノ)、ジェミ(ソプラノ)、エドヴィージュ(メゾ・ソプラノ)の女声三重唱が異彩を放った。

 ウィリアム・テルを歌ったのはゲジム・ミシュケタ。例のリンゴの実を射る場面に絶唱があるが(ミシュケタは渾身の歌唱だった)、それ以外は意外にアリアらしいアリアのない役だが、実際に観ると、舞台では圧倒的な存在感があった。開演前にミシュケタは体調不良とアナウンスがあったが、そんなことを感じさせなかった。アルノルドを歌ったのはルネ・バルベラ。すばらしくパワーのある歌唱だ。マティルドを歌ったのはオルガ・ペレチャッコ。上記の男声二人とくらべて、ペレチャッコはベルカント的な声だ。

 演出・美術・衣装はヤニス・コッコス。スイスを支配するハプスブルク家の暴力性はもちろんだが、それに対抗するスイスの民衆も、やはり暴力をもって立ち向かわざるを得ない現実を描き、今に至る人類の苦悩を表現した。幕切れでは、マティルドは「全てを失い、ひとり残され」るように描いた(コッコスのプロダクション・ノート)。納得できる描き方だ。

 指揮は大野和士。長大なオペラを十分に掌握し、弛緩なく上演しきった。大野和士の実力発揮だ。わたしが聴いた大野和士の指揮の中でもっとも感銘を受けたひとつだ。
(2024.11.28.新国立劇場)

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