Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響アンサンブル

2019年03月20日 | 音楽
 カンブルラン/読響の小編成アンサンブルのための20世紀音楽特集。「読響アンサンブル・シリーズ」の特別演奏会。クラング・フォーラム・ウィーンを振っているカンブルランならお手のものだろうが、残念ながら日本では接する機会に恵まれなかった領域だ。最後の最後になってその機会が訪れた。

 1曲目はヴァレーズ(1883‐1965)の「オクタンドル」(1923)。大音響のヴァレーズではなく、木管4本、金管3本とコントラバス1台の編成。輪郭のはっきりした音で、鮮明な曲線を描く演奏だった。

 2曲目はメシアン(1908‐92)の「7つの俳諧」(1962)。ピアノ・パートにピエール=ロラン・エマールが入る豪華版だったが、その割に感銘が薄かった。カンブルランもエマールもメシアンを知りつくして、あっさり流したような演奏だった。

 3曲目はシェルシ(1905‐88)の「4つの小品」(1959)。まったく意外なことに、この曲が一番おもしろかった。沼野雄司氏のプログラム・ノーツによれば、「第1曲はファ、第2曲はシ、第3曲はラ♭、第4曲はラという音だけが鳴り響く(もっとも、正確にいえば、これらの音は時として半音より狭い音程で微妙に上下する)。」。まるで大気がゆっくり呼吸しているような、微妙な起伏が継続する曲だ。

 演奏は大変優れていた。おそらく演奏の正確性にすべてを負っている曲だろうが、音程その他の取り方が完璧だったと思う。そこからこの曲の真の姿が現れた。しかも緊張感が途切れず、その持続は快くさえあった。カンブルランと読響が追及してきた音色への配慮が成果をあげていた。

 周知のように、シェルシにはゴーストライターがいた。シェルシの死後、ゴーストライターが名乗り出た。シェルシはアイディアを提供し、ゴーストライターはそれを採譜・作曲したらしい。日本で数年前に起きた某事件と、どこか似ているが、どう違うのか。

 そんな微妙なところのある「シェルシ」だが、その曲を(プロ中のプロの)カンブルランと読響がこれほど見事に演奏したことを、どう考えたらよいのだろう。「シェルシ」の真価をあらためて世に問う、という気迫が感じられたが。

 4曲目はグリゼー(1946‐98)の「音響空間」から第3曲「パルシエル」(1975)。「音響空間」全曲はぜひカンブルランで聴きたいと思っていたが、最後の最後にその一部を聴けた。演奏は意外に淡白だった。全曲やったら、どうなっただろう。
(2019.3.19.紀尾井ホール)
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