Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2024年04月06日 | 音楽
 カンブルラン指揮読響の定期演奏会。カンブルランが読響の常任指揮者を退任したのは2019年3月だ。その後、2022年10月と2023年12月にカンブルランが読響を振るのを聴いた。今回で3度目だ。前回までの軽い身のこなしと、常任指揮者時代と変わらない引き締まった音から、今回は少し変わったと感じる。

 1曲目はマルティヌーの「リディツェへの追悼」。冒頭の音が恐ろしいほど暗く不穏に鳴った。その一撃でチェコの小村リディツェで起きた悲劇を描き尽くすようだ。カンブルランはこれほど表現的だったろうかと。その後の追悼の音楽はむしろ温かい音色でヒューマンだ。カンブルランがこの曲を選んだ気持ちがわかる気がする。

 2曲目はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏は金川真弓。かねてから評判をきくにつけて、早く聴いてみたいと思っていたヴァイオリン奏者だ。演奏はなるほど才能豊かだ。一音一音の発音がはっきりしている。ムードで弾く演奏家ではない。しっかり考えて音を追う。長大な曲だが、集中力が途切れない。

 一方、オーケストラは勝手が違った。というのは、カンブルランが常任指揮者時代にバルトークの「青ひげ公の城」で名演を残した記憶が鮮明だからだ。あのときはオーケストラが究極的にまとまり、かつ音には光沢があった。その記憶にくらべると、今回は音に精彩を欠いた。なお(わたしの勘違いかもしれないが)第3楽章の途中で、事故かなと思う瞬間があった。

 3曲目はメシアンの「キリストの昇天」。メシアン初期の作品だ。わたしは「忘れられた捧げもの」は比較的聴く機会が多いが、「キリストの昇天」を実演で聴くのは初めてかもしれない。その機会を与えてくれたカンブルランに感謝だ。実際すばらしい作品だ。第1楽章の金管楽器のコラール風の楽想はメシアンそのもの。第2楽章も同じ。第3楽章はラヴェルの音を感じた。第4楽章(最終楽章)は「トゥーランガリラ」を書くころのメシアンだったらオンド・マルトノを加えたかもしれない音楽だ。

 演奏は、常任指揮者時代の「彼方の閃光」などとは違って、湿り気のある音で、緩さがあった。だがメシアン最晩年の「彼方の閃光」と初期の「キリストの昇天」の、それぞれの演奏をくらべることは、そもそも無理があるかもしれないが。

 それにしても今回の3曲は1933年から1943年までの10年間に作曲された曲だ。その10年間は何という時代だったろう。1933年はヒトラーが政権を取った年だ。1943年は第二次世界大戦の真っ最中だ。3曲の背後には戦争の音がきこえる。
(2024.4.5.サントリーホール)
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