平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ジョゼと虎と魚たち 人は誰かを愛さない方がいい

2010年06月09日 | 邦画
 久美子(池脇千鶴)は下半身不随の女の子。
 外出は祖母の押す乳母車に乗って。あとはほとんど家の中で過ごす。
 乳母車の外出以外に久美子が外界に触れるのは、祖母が近所のゴミ置き場から拾ってくる本や雑誌。
 久美子は自分の名を”ジョゼ”だと言うが、その名前の由来は拾ってきた本の中にあったサガンの小説の主人公から。
 そんなジョゼの日常の中にひとりの青年が入ってきた。
 大学生の恒夫(妻夫木聡)だ。
 やがてふたりは恋するようになるが……。

 昨日の「陰日向に咲く」では<人は誰かを愛さずにはいられない>と書いたが、この作品を見るとこんなことを考えてしまう。
 <愛は苦しみ。人は愛さない方がいい>
 以下、ネタバレ。


 結末を言うとジョゼと恒夫は最後に別れる。
 ジョゼの下半身不随が恒夫の負担になるのだ。
 その負担は体の自由が利かないことだけではない。体の自由が利かないもどかしさからジョゼはわがままを言う。怒り出す。
 そんな精神的なこともあって恒夫はジョゼを重荷に思う。
 自動車に乗って行く初めてのふたりだけの旅。
 ジョゼは大いにはしゃぐが、恒夫の態度から別れの予感を感じている。
 ラブホテルに入って、自分を人魚に見立てたジョゼは恒夫にこんなことを言う。
 「わたしは海の底から恒夫と最高のエッチをするためにやって来た。恒夫が現れる前は、何もなくてただ時間が過ぎていく生活を送ってた。あなたがいなくなったら再びその生活に戻ってしまう。それでもまあ、良しとしよう」
 <まあ、良しとしよう> せつない諦念だ。
 もし恒夫と出会わなければ、恋に落ちなければ、ジョゼはこんな哀しみ、苦しみを味合わずに済んだ。
 <何もなくてただ時間が過ぎていく生活>は退屈かもしれないが、心に波風や嵐が吹かなくていい生活を送ることが出来た。
 ジョゼは恒夫を好きになったことは正解なのか、そうでないのか?
 答えは見る者に委ねられている。
 確かにジョゼは恒夫を愛したことで、動物園で虎を見たり、ラブホテルで魚に囲まれて最高のエッチをすることが出来たのだが、その輝いた時間が失われてジョゼは以前の<ただ時間が過ぎていくだけの生活>に耐えられるのだろうか?
 ラストのジョゼの姿は、何も起こらない日常を受け入れる強さを感じるが、その心の内はわからない。
 また恒夫。彼はジョゼを捨てた罪で、ラスト崩れ落ちるように号泣する。
 彼は一生癒えることのない心の傷を負ったのだ。

 人は誰かを愛さない方がいい?


コメント
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