平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

アリ 人間として闘ったモハメッド・アリ

2010年06月11日 | 洋画
 <キンシャサの奇跡>までのモハメッド・アリ(ウィル・スミス)の戦いを描いたこの作品。

 アリはボクシング以外にも様々なものと闘ってきた。
・黒人であること、差別。
・モスリム(イスラム教徒)であること。
・自分を利用して金を稼ぐことしかしないプロモーター、宗教家。
・そしてアメリカという国。

 ベトナム戦争の最中、アリは徴兵を拒否する。
 それは単なる平和主義からだけではない。
 アリの論理はこうだ。
 「自分は黒人であることから不当に差別されてきた。国からも本来受けるべき権利を与えられていない。何も与えていないくせに国は俺に戦争に行って国に奉仕しろと言う。自分には関係ないアジアの民を殺せと言う」
 「自分は奴隷の出身で、カシアス・クレイという名は白人が奴隷として自分の祖先につけた名前だが、自分は奴隷ではない。何者にも屈服しない。国にも服従しない」
 アリの徴兵拒否は、黒人であること、奴隷の出身であることから発せられた血も肉もある行動だったのだ。単なる上っ面の偽善的な平和主義から出たものではない。

 だがこの徴兵拒否の結果、アリはチャンピオンを剥奪され、ボクシングも出来なくなる。
 ボクサーとして一番油の乗っている時期に試合が出来ないのだ。
 貯金も底を尽きる。信じていたイスラム教会も彼に信仰の禁止を宣言し、裏切る。
 しかし、それでもアリは信念を曲げない。
 そして、そのブランクのせいからか、戦争が終わって再びリングに復帰したアリはジョー・フレイジャーに敗北する。
 アリの復活劇はこの敗北から始まり、ジョージ・フォアマン(フレイジャーを倒した新チャンピオン)と闘う<キンシャサの奇跡>に繋がるわけだが、僕はこのフォアマンとの闘いは以前のものとは大きく違っているような感じがした。
 闘うアリの精神が大きく変わったような気がしたのだ。
 それまでのアリはまさに<モハメッド・アリ>、神の戦い方だった。
 だが、このフォマン戦は実に人間くさい。
 闘いの前には浮気をするし、悪徳プロモーター・ドン・キングとも手を結ぶ。
 以前のような華麗なボクシングではなくサンドバッグのように打たれて打たれて打たれまくる。
 アリは徴兵拒否、復帰戦での敗北を経て、神から人間になったのだ。
 挫折・困難がアリを人間にした。
 そんな感じがする。
 そして打たれて打たれて、なおも自分を鼓舞して懸命に闘う姿はまさに人間。

 <キンシャサの奇跡>が名勝負と言われるのは、こんな所にあるのではないか。


コメント
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