平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第25話「寺田屋の母」

2010年06月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 お龍(真木よう子)と寺田屋・お登勢(草刈民代)のキャラクターがいい。
 お龍は心を開けない女性。
 他人に何度も裏切られ、酷い目にあって来たのだろう。
 他人の好意を素直に受け入れられない。自分の力だけを信じて生きていこうとする。
 そして他人との間に壁を作り、笑えない女性。
 ラストで龍馬(福山雅治)がいなくなってから、小さな声で「う~み」と練習する所が可愛い。
 凛とした部分と可愛い部分、そして今まで生きてきた苦労が具体的に描かれなくても視聴者に伝わる描写。見事な人物描写だ。
 一方、お登勢。
 船旅館を営むだけあって男まさり。背筋がピンと通っている。
 お龍を雇う時も「断ったらあたしがいけずになってしまうじゃないか」と気持ちいい。
 なかなか格好いい女性だ。
 このお登勢、龍馬も「やっぱり違う」と言った様に、龍馬の母親とは正反対の性格なんですよね。
 龍馬の母親は病弱で女性っぽかった。
 この対照的なふたりに同じ役者さんをキャスティングしたことは、製作側のヒット。
 幼くして母親を亡くした龍馬の母親を求める気持ちも伝わってくる。

 そして龍馬。
 海軍繰練所が廃止され、すべてがなくなってしまった状態なのに、お龍が笑わないことに気づいてあげられる。
 自分がどん底でつらいのに他人のことを考えられる。
 この点が実に龍馬らしい。

 一方、武市(大森南朋)。
 武市話を引っ張りすぎた弊害が出て来ましたね。
 弥太郎(香川照之)が言った様に、「以蔵があれほど苦しんでいるのだから罪を認めてしまえ」と言いたくなる。
 現代風に言えば「トップなら責任をとれ」「自分のやったことに責任をとれ」と言いたくなる。(このことを視聴者に気づかせたらいけないんですけど)
 おまけに毒饅頭。
 武市は生きて何を守ろうとしているのか?
 仲間を苦しめて、死に追いやってまで守ろうとしているものは何か?
 朝廷が長州を朝敵にし、攘夷の可能性が断たれた今、武市の生きる目的はないはず。
 そのことはお冨との別れのシーンで武市も理解しているはずだ。
 武市のキャラクターが破綻しつつある。
 史実として伝えられている<毒饅頭>を作家は持ってきたが、これは物語を破綻させかねない劇薬の小道具。どう武市話を完結させるつもりか?


コメント (4)
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