平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

押尾容疑者と沢尻エリカ様

2010年09月07日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 押尾学容疑者の公判が始まった。
 元マネージャーらなど検察側の証人に拠れば、押尾容疑者はマネージャーに「自分の代わりに罪をかぶれ、自分が一生面倒をみるから」と強要し、別のマネージャーには「ベッドでの行為をした後、自分は仕事で外に出かけ、被害者の女性が勝手に合成麻薬を飲んで死んだことに出来ないか」と相談したそうである。
 これが真実だとすれば、何とも<最低の男>である。
 押尾容疑者は自らのことを<押尾ブランド>と称し、あくまで<カッコイイ男>であることにこだわっている様だが、メチャクチャ<カッコ悪い男>になってしまった。
 <カッコイイ男>とは、自分のしたことに責任をとれる男。罪を認めて潔い男。
 同じ麻薬事件だが、清水健太郎氏の方がまだ潔い。
 何度も同じことを繰り返してしまう弱さや業みたいなものも感じる。
 そんな清水健太郎氏が演技で表現するものを見てみたい気もする。
 小室哲哉さんも今は心穏やかだろう。音楽活動も再開されている。
 罪を認めて償えば、次の舞台に行けるのである。

 一方、何かとお騒がせな沢尻エリカ様。
 僕などは彼女の言動にまゆをひそめる人間だが、もし彼女の言動が心からのものであれば興味がある。
 彼女は与えられた映画を「別に……」と言い、与えられた音楽を「歌謡曲みたいでつまらない」と言った。
 既存のものへの反逆。古い偉そうなものへの反逆。
 だから彼女が戦っているのなら何を考えているのか知りたいし、彼女が目指す本当に表現したいものを見てみたい。
 だが彼女の言動がもし外国のアーティストの物真似の上っ面なもので、話題作りのためだったらやめた方がいい。
 結局は自分にウソをついていることだからだ。
 それは結果、心を蝕む。

 かつて美輪明宏さんはその姿形で保守的なものと闘い、結果、実力で世の中をねじ伏せた。
 沢尻さんにそれが出来るか?
 彼女が本物かどうかが試されている。
 そして押尾容疑者は完全な偽物だ。
 虚飾をすべて奪われて、ちっぽけで最低な自分を思い知る必要がある。


コメント (2)
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