家の前でチュウをしてしまった蛍(綾瀬はるか)と部長(藤木直人)。
町内会長さんにチュウイ(注意)されると心配して
「トレンディ・ドラマの撮影ということにしましょう」
「おぼれて人工呼吸をしていたことにしましょう。なぜならわたしは部長におぼれているから」
ウマイ!
このふたり、見事な漫才コンビですね。
今回のテーマは<受け入れる>ということ。
盆太郎(石坂浩二)さん、蛍……、人間、ダメなところ、欠けているところはたくさんある。
部長だって違う立場から見れば、堅苦しい。神経質すぎる。
欠点を含めて相手のすべてを<受け入れる>ということ。
それが大切だと言っている。
それはなかなか難しいことですけどね、どうしても自分を中心に考えてしまうし、自分を押しつけたくなってしまう。
こうやってドラマのレビューを書くこともそう。
僕は基本的に肯定する立場でレビューを書いていますが、どうしても「違うな」とか「描き込みが足りないな」「こうすればいいのに」とかいう感想が出て来てしまう。
というわけでちょっと批判です。
瀬乃(向井理)に関する部分はイマイチ。
好きだと告白している女性(蛍)に別の女性(美香・臼田あさ美)を押しつけられて怒るのはわかる。
でも書類が落ちて、その中に人間関係図が混じっていて……という作劇はいただけない。
仕事を途中で抜け出す二番目のエピソードもちょっと。
蛍が瀬乃に「実は部長のお父さんが倒れてしまって」と説明すれば済むだけの話。
人間関係図がバッグから落ちるエピソードもそうだが、無理やり蛍と瀬乃を気まずくさせようという意図が見え見え。
この作品は<小ネタ>と<キャラクター>なんですね。
それらが十分すぎるほど面白いからいいのですが、ドラマとしては物足りない。粗が目立つ。
シーズン1は<干物女>と<恋愛>、干物女を客観的に見つめてアドバイスする大人の男としての部長、そして干物女であることがバレたらまずいという秘密要素が加わっていいドラマになっていた。
キャラクターとドラマがうまくリンクしていた。
だが今回のシーズン2は、以前にも書いたが<蛍と部長はどんなことがあっても離れないことがわかっている>からドラマになりにくい。
結果、今回の様な無理やりなドラマ作りになってしまう。
<漫才><コント>の要素と<ドラマ>をバランスよく配置するのってすごく難しいんですね。
町内会長さんにチュウイ(注意)されると心配して
「トレンディ・ドラマの撮影ということにしましょう」
「おぼれて人工呼吸をしていたことにしましょう。なぜならわたしは部長におぼれているから」
ウマイ!
このふたり、見事な漫才コンビですね。
今回のテーマは<受け入れる>ということ。
盆太郎(石坂浩二)さん、蛍……、人間、ダメなところ、欠けているところはたくさんある。
部長だって違う立場から見れば、堅苦しい。神経質すぎる。
欠点を含めて相手のすべてを<受け入れる>ということ。
それが大切だと言っている。
それはなかなか難しいことですけどね、どうしても自分を中心に考えてしまうし、自分を押しつけたくなってしまう。
こうやってドラマのレビューを書くこともそう。
僕は基本的に肯定する立場でレビューを書いていますが、どうしても「違うな」とか「描き込みが足りないな」「こうすればいいのに」とかいう感想が出て来てしまう。
というわけでちょっと批判です。
瀬乃(向井理)に関する部分はイマイチ。
好きだと告白している女性(蛍)に別の女性(美香・臼田あさ美)を押しつけられて怒るのはわかる。
でも書類が落ちて、その中に人間関係図が混じっていて……という作劇はいただけない。
仕事を途中で抜け出す二番目のエピソードもちょっと。
蛍が瀬乃に「実は部長のお父さんが倒れてしまって」と説明すれば済むだけの話。
人間関係図がバッグから落ちるエピソードもそうだが、無理やり蛍と瀬乃を気まずくさせようという意図が見え見え。
この作品は<小ネタ>と<キャラクター>なんですね。
それらが十分すぎるほど面白いからいいのですが、ドラマとしては物足りない。粗が目立つ。
シーズン1は<干物女>と<恋愛>、干物女を客観的に見つめてアドバイスする大人の男としての部長、そして干物女であることがバレたらまずいという秘密要素が加わっていいドラマになっていた。
キャラクターとドラマがうまくリンクしていた。
だが今回のシーズン2は、以前にも書いたが<蛍と部長はどんなことがあっても離れないことがわかっている>からドラマになりにくい。
結果、今回の様な無理やりなドラマ作りになってしまう。
<漫才><コント>の要素と<ドラマ>をバランスよく配置するのってすごく難しいんですね。