平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第26回「八重、決戦のとき」~頼母の末娘「今日は何をするんですか?」

2013年07月01日 | 大河ドラマ・時代劇
「私たちの大事な故郷、会津は私が守る!」
「その鉄砲に会津武士の魂を込めよ!」

 こういう勇ましいせりふもいいんだけど、僕はこんなせりふにも魅かれる。

 西郷頼母(西田敏行)家の自決シーン。
 皆が歌を詠み、死を覚悟する中、一番幼ない末娘がつぶやく。
「今日は何をするのですか?」

 白虎隊の自決シーン。
 皆が「生き恥さらしたら殿に面目が立たぬ」と言って腹を切ろうとする時、ひとりが語る。
「まだ弾丸が残ってる。戦おう」

 生きることへの意思。
 この方が、死ぬ意思より数倍美しいと僕は思う。

 しかし、西郷家の末娘も白虎隊の「戦おう」と言った少年も、集団の大きな流れの中では流される。
 大きな時代の渦に巻き込まれて、死んでいくしかない。
 それが歴史や集団の中での個人。
 大きな流れの中では個人は無力だ。

 だからオトナの責任は大きい。
 今回、神保内蔵助(津嘉山正種)と田中土佐(佐藤B作)の自決シーンがあったが、ふたりは過去をふり返って言った。
「殿が京都守護職を引き受けようとした時、わしらが腹を切って止めていれば……」
 これは歴史のifになってしまうが、戦争や悲惨な状況に至るまでには、いくつかの分岐点がある。
 そこで判断を間違えなければ、悲劇が生じなかったかもしれない時がある。
 西郷家の末娘も白虎隊の少年が死ななくてはならなかったのは、すべて止められなかったオトナの責任だ。
 もっとも判断の何が正しくて、何が正しくなかったかは、その時代の当事者にはわからないんですけどね。
 でも、考えることは出来る。

 現代でも石原慎太郎氏や憲法改悪を主張している自民党を支持すれば、戦争を起こすことは目に見えていると思うんですけどね。
 原発依存の社会がこの先も続けば、また悲惨な事故が起きることは明らかなんですけどね。
 これを止めようとしないのは、大人の責任を放棄しているように思う。
 神保内蔵助と田中土佐の間違いを繰り返してはならない。

 最後にもう一度、個人について。
 先程、大きな時代の流れの中で個人は無力だと書きましたが、覚馬(西島秀俊)は「管見」を書いた。
 覚馬のしたことは、ちっぽけなものかもしれないが、個人でも時代に抗して戦った人はいる。


コメント (8)
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