今回は生き残った会津の人たちの思いがさまざまな形で描かれた。
大蔵(玉山鉄二)らは切腹する萱野権兵衛(柳沢慎吾)の言葉を受け、生きて<会津が受けた逆賊の汚名を晴らすこと>を誓う。
頼母(西田敏行)は、生きて<わしらの会津を踏みつぶしていったやつらがどんな世の中を作るのか見届けてやる>と誓う。
米沢の商人に囲い者にされているお千代は、心の奥底で憎悪をたぎらせ、<仇を討つこと、恨みを晴らすこと>を秘めている。
八重(綾瀬はるか)も表面上は穏やかで、何とか前に進もうと思っているが、戦場が頭から離れず、きっかけがあれば、お千代のように憎悪に火がついてしまうことを怖れている。
八重はお千代に「生き抜くことがいくさだ」と語ったが、残された会津の人たちは、いまだに<いくさ>の状態なのだ。
だから大蔵は『斗南』の『斗』を『闘う』ことと理解した。
そんないくさの状態とは対照的なのが、皆で『こづゆ』を食べるシーンだ。
「美味えな」「美味えな」「こづゆって、こんなに美味かっただべか」
食べながら涙が溢れてくる八重たち。
そこには、<ふるさとの記憶><平和だったかつての生活の記憶>がある。
しかし、人は過去を振り返るのではなく、現在、そして未来を生きなければならない。
一部の会津藩士たちは、三万石の斗南に行くことを言い渡された時、怒りで「斬り込みにいく!」と熱くなったが、大蔵は「斗南の地を豊かにすること」を説いた。
破壊よりも創造だ。
そう、生きることは<創造>なのだ。
破壊からは何も生まれない。
これから八重を始めとする、会津の人たちの真価がいよいよ問われてくる。
大蔵(玉山鉄二)らは切腹する萱野権兵衛(柳沢慎吾)の言葉を受け、生きて<会津が受けた逆賊の汚名を晴らすこと>を誓う。
頼母(西田敏行)は、生きて<わしらの会津を踏みつぶしていったやつらがどんな世の中を作るのか見届けてやる>と誓う。
米沢の商人に囲い者にされているお千代は、心の奥底で憎悪をたぎらせ、<仇を討つこと、恨みを晴らすこと>を秘めている。
八重(綾瀬はるか)も表面上は穏やかで、何とか前に進もうと思っているが、戦場が頭から離れず、きっかけがあれば、お千代のように憎悪に火がついてしまうことを怖れている。
八重はお千代に「生き抜くことがいくさだ」と語ったが、残された会津の人たちは、いまだに<いくさ>の状態なのだ。
だから大蔵は『斗南』の『斗』を『闘う』ことと理解した。
そんないくさの状態とは対照的なのが、皆で『こづゆ』を食べるシーンだ。
「美味えな」「美味えな」「こづゆって、こんなに美味かっただべか」
食べながら涙が溢れてくる八重たち。
そこには、<ふるさとの記憶><平和だったかつての生活の記憶>がある。
しかし、人は過去を振り返るのではなく、現在、そして未来を生きなければならない。
一部の会津藩士たちは、三万石の斗南に行くことを言い渡された時、怒りで「斬り込みにいく!」と熱くなったが、大蔵は「斗南の地を豊かにすること」を説いた。
破壊よりも創造だ。
そう、生きることは<創造>なのだ。
破壊からは何も生まれない。
これから八重を始めとする、会津の人たちの真価がいよいよ問われてくる。