今回はラストシーンが秀逸ですね。
「……消えだ。何もかも」
その落胆の中にありながら、八重(綾瀬はるか)は残っている鶴ヶ城の天守閣を見る。
この少し前に、尚之助(長谷川博己)は天守閣を見ながら八重に言った。
「会津は打たれ強い。私は、国とはそこに住む人のことだと思っています」
そうですね、砲弾を浴び、ボロボロになりながらも健在だった<鶴ヶ城の天守閣>は、会津の心の象徴だったんですね。
たとえ、いくさに負けても<会津の心>は失われていない。
鶴ヶ城の天守閣はその象徴。
悲惨の中で、力強さを感じさせる描写だったと思います。
この<会津の心>の力強さは他のシーンにも。
勝ち誇る官軍を前に、大蔵(玉山鉄二)たち、藩士は会津の唄を唄う。
「やめろ!」と言われても歌い続ける。
会津の女たちは、城を官軍に明け渡す前に、城の中をきれいに掃除する。
「これが会津のおなごの誇りだ」と言って。
また、時尾(貫地谷しほり)は斎藤一(降谷建志)に「会津はゆっくりとやってくる春が美しい」と語る。
砲弾が山のように飛んで来る中で。
たとえ、いくさに負け、城や町がボロボロになっても<会津の心>が失われない限り、会津は負けていないのだ。
八重というキャラクターも面白い。
今までの大河ドラマの女性たちのように「いくさは嫌だ」「平和がいい」などと、八重は言わない。
父親が戦死しても大きな感傷はない。
彼女を貫いているのは、容保(綾野剛)に進言したように、会津の誇り(逆賊の汚名を受けた理不尽さへの怒り)だ。
おそらく八重たちは、これから、平和な世の中で、<会津の誇り>を取り戻すために戦っていくのだろう。
それは生きていくことによってのみ、可能なこと。
死んでしまってはそれが出来ない。
だから八重が容保に語った言葉「何があっても生きていかなくてはなりません。会津は逆賊じゃねえ。それを証明出来るのは御殿様です」は、自分にも無意識に言い聞かせた言葉のように思える。
生きること。
尚之助が「ここに女がいるぞ!」と言って八重の命を救おうとしたのも、容保が「何があっても生きのびよ。これが最後の君命じゃ」と言ったのも、八重が会津の誇りを取り戻すために「何があっても生きていかなくてはなりません」と進言したのも、すべて<生きること>を志向している。
さて、これからは八重を始めとする会津人たちの再起の物語が始まる。
「……消えだ。何もかも」
その落胆の中にありながら、八重(綾瀬はるか)は残っている鶴ヶ城の天守閣を見る。
この少し前に、尚之助(長谷川博己)は天守閣を見ながら八重に言った。
「会津は打たれ強い。私は、国とはそこに住む人のことだと思っています」
そうですね、砲弾を浴び、ボロボロになりながらも健在だった<鶴ヶ城の天守閣>は、会津の心の象徴だったんですね。
たとえ、いくさに負けても<会津の心>は失われていない。
鶴ヶ城の天守閣はその象徴。
悲惨の中で、力強さを感じさせる描写だったと思います。
この<会津の心>の力強さは他のシーンにも。
勝ち誇る官軍を前に、大蔵(玉山鉄二)たち、藩士は会津の唄を唄う。
「やめろ!」と言われても歌い続ける。
会津の女たちは、城を官軍に明け渡す前に、城の中をきれいに掃除する。
「これが会津のおなごの誇りだ」と言って。
また、時尾(貫地谷しほり)は斎藤一(降谷建志)に「会津はゆっくりとやってくる春が美しい」と語る。
砲弾が山のように飛んで来る中で。
たとえ、いくさに負け、城や町がボロボロになっても<会津の心>が失われない限り、会津は負けていないのだ。
八重というキャラクターも面白い。
今までの大河ドラマの女性たちのように「いくさは嫌だ」「平和がいい」などと、八重は言わない。
父親が戦死しても大きな感傷はない。
彼女を貫いているのは、容保(綾野剛)に進言したように、会津の誇り(逆賊の汚名を受けた理不尽さへの怒り)だ。
おそらく八重たちは、これから、平和な世の中で、<会津の誇り>を取り戻すために戦っていくのだろう。
それは生きていくことによってのみ、可能なこと。
死んでしまってはそれが出来ない。
だから八重が容保に語った言葉「何があっても生きていかなくてはなりません。会津は逆賊じゃねえ。それを証明出来るのは御殿様です」は、自分にも無意識に言い聞かせた言葉のように思える。
生きること。
尚之助が「ここに女がいるぞ!」と言って八重の命を救おうとしたのも、容保が「何があっても生きのびよ。これが最後の君命じゃ」と言ったのも、八重が会津の誇りを取り戻すために「何があっても生きていかなくてはなりません」と進言したのも、すべて<生きること>を志向している。
さて、これからは八重を始めとする会津人たちの再起の物語が始まる。