宮藤官九郎さんが2019年の大河ドラマの脚本を書くらしい。
テーマは「東京とオリンピック」。
内容は、日本選手が初めて参加した1912年のストックホルム大会から、1964年の東京オリンピック開催までのオリンピックに関わった日本人を描くものだという。
描く時代は近現代なのか。
朝ドラっぽい内容になるのかな?
企画は翌年2020年のオリンピックを意識したもの。
オリンピックの盛り上げが必死だね。
僕は、新国立競技場、エンブレム、開催費用3兆円で、すっかり冷めてしまったけど。
これら一連の騒動で、オリンピックが利権の温床であることがわかってしまった。
少なくともオリンピック大会組織委員会の森喜朗氏は辞めてほしいわ。
さて、クドカンはオリンピックをどう描くのだろう。
制作発表で、官九郎さんはコンセプトについてこう語ったらしい。
<戦争と政治と景気に振りまわされた人々の群像劇>
おおっ、これは期待できる!
オリンピックで愛国心と国威発揚を狙っている安倍自民党に完全に水を差す内容じゃん!
愛国心って、自然に湧いてくるもので、国から強制されるものではない。
〝景気に振りまわされた人々〟っていうのもいい。
おそらく放送される2019年はオリンピック景気で浮かれているんだろうけど、オリンピック後が怖い。
祭りの後の大不況がやって来る。
今、〝レガシー〟と称してイケイケで建てているオリンピック施設は、維持費のかかる赤字の建造物になる。
現在は物の満ち足りた成熟社会で、1964年とは違うんだからさ。
クドカンには、「日本人よ、浮かれるな」ってメッセージを出してほしいな。
…………………
宮藤官九郎さんは、みうらじゅん氏との対談本『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』(集英社)で、現在の右傾化する政治についてこう語っているらしい。
「憲法を変えるとか、戦争できる国になるとかならないとか、ちょっと勘弁してほしいなって思います」
「僕が“戦争”っていう言葉を聞いたときに一番最初に思い浮かべるのって、やっぱり子供のことなんですよね」
「万が一、戦争が将来起こったときに、僕たちはもう老人になってるから戦場に行くことはないと思いますけど、子供たちの世代が戦わなきゃいけなくなる可能性があるわけじゃないですか」
「いずれ学校の授業で、日本が昔、戦争で負けたっていうのを知ることになるわけじゃないですか。
にもかかわらず、今になって再び戦争をやりかねない状況に持っていこうとしてる大人がいるっていうその現実を、戦争を体験した世代がどんどん減っていくなかで、子供たちにどう伝えたらいいんだろうなって」
同感である。
昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、企画の決定過程が不明瞭で、同じ長州出身で吉田松陰を崇拝する安倍首相をヨイショする企画ではないか、と言われたが、2019年の大河はそんなものになってほしくない。
そもそもカルチャー、特にサブカルは、権威や権力を鼻で笑う〝反体制的なもの〟だと思いますしね。
宮藤官九郎さんには、クドカン流を貫いてほしい。
※参照記事
宮藤官九郎のオリンピック大河はナチスの「民族の祭典」になるのか、それとも五輪ナショナリズムを解体するのか(リテラ)
テーマは「東京とオリンピック」。
内容は、日本選手が初めて参加した1912年のストックホルム大会から、1964年の東京オリンピック開催までのオリンピックに関わった日本人を描くものだという。
描く時代は近現代なのか。
朝ドラっぽい内容になるのかな?
企画は翌年2020年のオリンピックを意識したもの。
オリンピックの盛り上げが必死だね。
僕は、新国立競技場、エンブレム、開催費用3兆円で、すっかり冷めてしまったけど。
これら一連の騒動で、オリンピックが利権の温床であることがわかってしまった。
少なくともオリンピック大会組織委員会の森喜朗氏は辞めてほしいわ。
さて、クドカンはオリンピックをどう描くのだろう。
制作発表で、官九郎さんはコンセプトについてこう語ったらしい。
<戦争と政治と景気に振りまわされた人々の群像劇>
おおっ、これは期待できる!
オリンピックで愛国心と国威発揚を狙っている安倍自民党に完全に水を差す内容じゃん!
愛国心って、自然に湧いてくるもので、国から強制されるものではない。
〝景気に振りまわされた人々〟っていうのもいい。
おそらく放送される2019年はオリンピック景気で浮かれているんだろうけど、オリンピック後が怖い。
祭りの後の大不況がやって来る。
今、〝レガシー〟と称してイケイケで建てているオリンピック施設は、維持費のかかる赤字の建造物になる。
現在は物の満ち足りた成熟社会で、1964年とは違うんだからさ。
クドカンには、「日本人よ、浮かれるな」ってメッセージを出してほしいな。
…………………
宮藤官九郎さんは、みうらじゅん氏との対談本『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』(集英社)で、現在の右傾化する政治についてこう語っているらしい。
「憲法を変えるとか、戦争できる国になるとかならないとか、ちょっと勘弁してほしいなって思います」
「僕が“戦争”っていう言葉を聞いたときに一番最初に思い浮かべるのって、やっぱり子供のことなんですよね」
「万が一、戦争が将来起こったときに、僕たちはもう老人になってるから戦場に行くことはないと思いますけど、子供たちの世代が戦わなきゃいけなくなる可能性があるわけじゃないですか」
「いずれ学校の授業で、日本が昔、戦争で負けたっていうのを知ることになるわけじゃないですか。
にもかかわらず、今になって再び戦争をやりかねない状況に持っていこうとしてる大人がいるっていうその現実を、戦争を体験した世代がどんどん減っていくなかで、子供たちにどう伝えたらいいんだろうなって」
同感である。
昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、企画の決定過程が不明瞭で、同じ長州出身で吉田松陰を崇拝する安倍首相をヨイショする企画ではないか、と言われたが、2019年の大河はそんなものになってほしくない。
そもそもカルチャー、特にサブカルは、権威や権力を鼻で笑う〝反体制的なもの〟だと思いますしね。
宮藤官九郎さんには、クドカン流を貫いてほしい。
※参照記事
宮藤官九郎のオリンピック大河はナチスの「民族の祭典」になるのか、それとも五輪ナショナリズムを解体するのか(リテラ)