JR宗谷本線には第1次北海道遠征(97年)で全線制覇している。この時は旭川で泊まって、午前中の急行礼文で宗谷本線を全線制覇している。根室本線釧路以東や釧網本線で乗ったキハ54系だったが、急行仕様車ということで少々豪華な造りかと思っていたが、根室本線で乗ったキハ54系も同じように急行仕様の500番台だったので、あまり新鮮なイメージはなく、快速で乗ったのに今度は急行かよという程度だった。もっともその時は今はなきワイド周遊券を利用していたので急行であろうが、快速であろうが、懐の方は何も痛まないのでどちらでもよかった。ただ、学生時代の若き頃だったので、このような理不尽さには常に文句をつけていたように思う。だから国鉄はダメなんだというのが口癖でそれを受け継ぐJRも先が思いやられると某鉄道アナリストのように吠えていたことが多かったように思う。
急行礼文で北海道の原野を走り、利尻富士などを拝み、日本最北端の地へと着いた時は感慨無量とまではいかないものの、ここまで来たかという感動はあった。稚内ではレンタカーを借りて、宗谷岬やノシャップ岬などを観光して、その日の夜の急行利尻の自由席で札幌へ戻った。急行利尻は結構な乗車率で、狭い稚内駅の待合室は待ち人でいっぱいになっていた。昔はこまめに増結などをしていたので座れるのかなというような心配はなかったが、レンタカーを返してからの待ち時間が長く暇つぶしが大変だったのを思い出す。ちょうどダイアナ妃が事故で亡くなった日だったか、その後だったかで待合室のテレビがそればかりを映していたのを覚えている。但し、そのテレビも20時か21時ごろに見事に消されてしまったのも覚えている。
2度目の北紀行は第2次北海道遠征(03年8月)で、北海道入りした日に札幌でたまたま北海道一人旅を同じ時期に楽しんでいた友人と出会い、札幌ドーム(外から見物)などを観光してラーメンを食べて、友人と別れて特急利尻に乗り込んで北上した。特急利尻は旭川まではかなりの混雑で、これは眠れないと思いながら眠りに落ちた。学生時代はナーバスだったのか、物音などがするとなかなか眠れなかったが、年をとって図太くなったのか、最近は夜行列車でもよく眠れるようになっている。座席夜行に関しては違った意味で年をとって眠れない場合もある…年には勝てぬ。特急利尻で稚内に着いて、稚内駅でミニ撮影会の状態の中、私も混じってキハ183系利尻を色々な角度から撮影し、駅前の食堂で朝からカニ入りラーメン(かなりお高い値がついていたと思う)を景気よく食して、駅近くを散策して時間を潰し、折り返しお初のスーパー宗谷に滝川まで乗った。名寄までは乗客も少なく快適な道中だったが、名寄から大挙押し寄せてきて、居心地が悪くなったので、席を立ってかぶりつきを楽しんで滝川まで立って行った。名寄から先は最高速度130km/hの高速運転を堪能できたが、高速で走る分乗り心地は少々悪かった。立っていたのだから当たり前と言えば当たり前だが、高速列車は座ってなんぼであることを改めて実感した。