EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR高山本線

2007年06月26日 | 東海

040905takayama85hida9  JR高山本線は98年夏の東京遠征+北陸遠征にて全線制覇している。この時は品川発の臨時167系大垣夜行で岐阜まで行き、岐阜から高山、猪谷で乗り継いで富山まで完乗している。なお、この時乗った167系大垣夜行が私にとっては最初で最後の大垣夜行乗車となっている。私が乗り歩きし出した時には既に373系ムーンライトながらが走っており、大垣夜行は臨時のみの存在となっており、ボックスシートが苦手な私はそれを避けてながらがダメなら北陸経由でえちごに乗って東京入りというルートを愛用していた。このため大垣夜行にはあまりお世話になっていない。この一度きりだ。ナイター観戦を途中で辞して品川で並んだ甲斐あって席につくことはできたが、席のない人がたくさんいて、通路やデッキに終夜人が溢れるという状態だった。

040905takayama483816  岐阜からは高山本線の道中となるが、お決まりのように気動車はキハ48で、朝方の列車だったため、結構つないでいた印象があり、座席の確保は楽勝だった。しかし、道中は非常に険しいものとなった。豪雨に晒され、途中運転抑止まで食らって北陸まで無事に辿り着けるか非常に不安な道中だった。高山本線は07年現在も台風の影響で部分的に運休しているが、確かに雨の災害は多そうな路線だ。抑止を食らいながらも何とか乗り継ぎながら猪谷までかなりの遅れを持って辿り着いた。猪谷に着く頃には天気は嘘のように回復し、接続待ちをしてくれていたJR西日本のキハ120気動車は何事もなかったように富山へ着いた。この後富山から高岡まで出て、高岡から氷見線に乗り、城端線も乗り潰す予定だったが、前日の夜行からの疲れと高山本線での気疲れもあって、城端線は断念してスーパー雷鳥に乗って帰阪している。

040905takayama1203513  次に高山本線に乗ったのは太多線の乗り潰しをした98年9月の東京遠征の時で、この時はムーンライトながら乗車前に名古屋で鉄活動と言うことで、夕方太多線に乗って美濃太田まで行き、美濃太田から岐阜まで高山本線に乗っている。その次に乗ったのは04年9月5日の北陸遠征の時で、この時は能登半島攻めを行って、富山に泊まって翌朝高山本線を下って行き、猪谷から神岡鉄道の乗り潰しをして、再び猪谷に戻り、岐阜から東海道本線を乗り継いで、美濃赤坂まで初乗り入れしている。この時も富山からの道中は物凄い豪雨に晒され、猪谷に着いた時にはこの先どうなるのかと思わせるような大雨になっている。猪谷から神岡鉄道を往復して、再び高山本線に戻り、JR東海の気動車で高山へ。ここでも抑止こそなかったものの、対向列車の遅れなどで遅れが生じながらの道中となり、高山へ近づくほど雨はマシになっていたが、高山本線の道中は常に雨に降られる印象を持たざるを得ない状況となっていた。

 この他05年9月4日の太多線乗り直しの際にも美濃太田から岐阜まで高山本線を利用しているし、06年12月29日の長良川鉄道乗り潰しの際にも岐阜から美濃太田まで高山本線を往復利用している。このように高山本線ローカル列車には何度も乗っているが、看板列車の特急ひだにはまだ一度も乗車したことがない。次は特急ひだでゆったりした旅を楽しんでみたいものだ。


東急東横線

2007年06月26日 | 関東

050504tokyutoyoko9003  東急東横線に初めて乗ったのは97年夏の東京遠征が最初だ。この時は渋谷から菊名まで乗って、横浜線に乗り換えている。この頃は特に私鉄の乗り潰しとりわけ関東の私鉄にはあまり興味がなかったので、本格的に乗り潰そうという気はなく、なにげに乗っただけだった。

050504tokyutoyoko51522  次に乗ったのは98年夏の東京遠征で、この時は珍しく新幹線で東上して、京急や横浜市交に乗って、関内まで行って、横浜スタジアムで横浜-阪神戦のチケットを入手して、JRで渋谷まで出て渋谷から桜木町まで東急の急行を乗り通している。97年に乗った時はずっと寝ていたので東急の印象は何も残っていなかったが、イメージとして遅い急行だけが走る阪急宝塚線のような路線と言うイメージを持っていた。しかし、乗ってみると案外走る感じを受けた。比較対象が阪急宝塚線だからちょっと速く走れば案外走るなという印象になるのかもしれないが、少なくとも阪急宝塚線急行より走るというイメージに変わったのは確かだ。この時は桜木町から京浜東北線に乗り換えて関内へ行って、横浜スタジアムで横浜-阪神戦を観戦して、その日の臨時大垣夜行で岐阜へ出て、岐阜から高山本線を北上して北陸へ抜けている。野球の方はこの年は横浜がちょうど日本一になった年で、阪神が初回に大量点を奪い、藪が完投ペースで投げていたが、予想通り6回だか7回にいつもの藪に戻り、あっという間に同点に追いつかれて延長戦に入ってしまった。私は大垣夜行に並ぶ時間があったので試合は途中で辞して座席確保に品川駅へ向かったが、翌朝新聞を見ると見事に阪神はサヨナラ負けを食らっていた。それから5年後阪神タイガースがセリーグ覇者となろうとはその時は全く考えもつかなかった時代だ。今年の阪神はあの時も戻った感もあり、暗黒の時代を知り尽くしたオールドファン?としては懐かしい思いがする。

050504tokyutoyoko8692  東急東横線にはその後、02年の東京遠征の際に蒲田から多摩川線で多摩川へ出て、同駅で少し撮影をして自由が丘まで出て、同駅から大井町線に乗って二子玉川まで行き、田園都市線に乗って溝の口まで行って同駅で撮影後、南武線に乗って登戸から小田急線に乗り、首都圏私鉄撮影行脚をしている。その後東横線に乗ったのは05年5月4日の東急乗り潰しの際に全線を乗り通し、みなとみらい線の乗り潰しも達成している。この時も多摩川で撮影を行っている。