JR高崎線を乗り潰したを達成したのは、学生時代にムーンライトえちごで新津から新宿まで夜行軍した時だ。95年夏のことで、この年には上下のムーンライトえちごのお世話になっている。学生時代は居住性が悪く、座席指定ではなかった165系大垣夜行を敬遠して、東京遠征には好んで北回りをして同じ165系でも居住性に優れたムーンライトえちごに乗っていた。しかし、高崎線に乗るのはムーンライトえちごに乗る時だけで、ず~っと昼間に乗ったことはなかった。初めて陽のある時間帯に乗ったのは八高線の乗り潰しをした04年12月30日のことで、八高線で高崎まで出て折り返し湘南新宿ラインで東京方面へ戻っている。この時も日暮れの早い時期の夕方に乗ったので、高崎線の旅を楽しんだというわけでもなかった。電車は既にE231系に置き換わっており、途中人身事故の発生の案内を電光掲示していたのが目新しかった。
その後も高崎線は大宮近辺で撮影するだけということが多かったが、07年8月25日~26日の遠征では上毛電鉄、わたらせ渓谷鉄道の乗り潰しをするために、高崎線を利用することになり、上野、大宮~高崎まで往復している。ムーンライトながらで東上したので、途中宮原であけぼのの撮影をしたが、北陸、能登は運休中のため撮影はできなかった。高崎線は線形がいい路線というイメージだが、その割にあまり速く走らないというイメージもある。国鉄時代は今よりもっと流していたのかもしれないが、E231系は結構な速度で走る区間が多い。JR東日本も変わりつつあるのだろうか。また、看板の特急列車がほとんど新幹線化されてスジが空いたので普通の待避が減ったのも沿線住民にとってはプラスと言えるだろう。26日も大宮に泊まって、熊谷まで高崎線に乗って秩父鉄道の乗り潰しに出ている。高崎線は秩父鉄道への貨物列車などの運転もあり、想像以上に貨物列車の運転が多い。かつてはEF65-500が牽く貨物の写真をよく見かけたが、今はEF210の姿が多い。EF210は関西では腐るほど走っているので、EF65-500やEF64-1000など物珍しい機関車を見ると少々感動を覚えるが、たいていはEF210というのが多かった。
07年9月1日、2日にも同じような行程で北関東に遠征している。この時は上信電鉄や上田交通などの乗り潰しがメインで、前週に乗りそびれた埼玉新交通に乗って、大宮から再び高崎線で高崎に出て上信電鉄の乗り潰しをしている。この時は奮発してグリーン車に乗車している。スイカを持ち合わせない田舎者は自動券売機でしょぼいグリーン券を事前購入して、乗車してアテンダントのチェックを受けなければならない。利用は少ないだろうが、イコカでも乗れるようにして欲しいものだ。高崎線はもともとグリーン車の連結などなかったが、湘南新宿ラインが運転され、東海道本線との直通が頻繁に行われるようになり、同線でのグリーン車需要を満たすという意味と高崎線や宇都宮線からの遠距離利用へのサービスも兼ねてめでたくグリーン車が連結されるようになった。上野口の211系にもグリーン車が連結されているが、平屋建てのグリーン車も見られ、ファンにとっては多種多様で見ていて楽しいが、利用する側からすると2階建てグリーンの存在は大きく、魅力的だ。とはいっても地元関西では似たような車両に別料金不要で乗ることができるし、2階建て車両自体は昔から見飽きるほど見てきたので、さして物珍しくないと“言い張って”おく。いずれにしても没個性のE231系の中で、2階建てグリーン車はより一層目立つ存在となっていることは確かで、思わず乗ってしまうものを持っているとのではないかと思う。