EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR富良野線

2007年06月10日 | 北海道

050717furano1509  富良野線には第1次北海道遠征(97年9月)と第4時北海道遠征(05年7月)で2度乗っている。第1次遠征の時は旭川に宿を取って、富良野線に乗って富良野へ行き、富良野観光をして、旭川へ戻るときは根室本線を使っている。富良野ではレンタサイクルで観光をしたが、昼食に初めてジンギスカンを食した。その後サッポロビール園でもジンギスカンを食べているが、正直言って、普通に牛なり豚なりの焼肉を食べている方が美味しいと私は思った。富良野線はその頃からキハ150系が使われていたが、8年後の2005年7月に訪れた時も相変わらずキハ150系が使われていた。何の変化もないローカル線と言える富良野線だが、観光客が多いのか2度とも利用者は多かった。観光列車は札幌からの利用をあてにしているため滝川から根室本線に入る列車が多い。このため富良野線はノロッコ号を除いてローカル気動車が走るだけの魅力に乏しい路線ではある。それでも沿線には富良野以外に美瑛などの観光地を持っているため、案外利用者が多いのかもしれない。今後もJR北海道では珍しい観光地を抱えた有望なローカル路線として活躍していくに違いない。


JR函館本線札幌~旭川間

2007年06月09日 | 北海道

030814hakodateline261soya2  JR函館本線の札幌~旭川間に初めて乗ったのは、第1次北海道遠征時(97年9月)に根室本線で富良野から滝川へ出て、滝川~旭川間でスーパーホワイトアローに乗った時だった。785系スーパーホワイトアローは在来線最速特急電車(最速はその当時は気動車のスーパー北斗だった)で、スピード狂の私は同列車に乗るのを楽しみにしていた。130km/hで疾駆する列車は滝川から旭川まであっという間に着いた。とはいえ、深川~旭川間の走りは案外で、函館本線にも線路条件が厳しいところがあるのかと妙に感心してしまった。第1次北海道遠征ではその後、上り急行利尻で函館本線旭川~札幌間を乗っている。また、特急に乗り足りないと言うことで、最終日に友人が札幌観光をしている間に、札幌~岩見沢間で781系ライラックと785系スーパーホワイトアローで往復している。

 第2次北海道遠征(03年8月)でも同区間には乗車しているが、特急利尻では夜中に素通り、その折り返しのスーパー宗谷では旭川~滝川間のみ乗車と札旭間直通利用はあまりしていない。スーパー宗谷を滝川で降りて、新十津川まで小1時間ほどかけて歩いて、札沼線の乗り潰しをしたのはこのときだ。

050717hakodate781lilac  第3次北海道遠征(04年12月)では札幌~岩見沢間で731系区間快速を利用している。この時は室蘭本線沼ノ端~岩見沢間の乗り潰しなどを目的に冬の北海道を初めて訪れている。防寒対策をこれでもかと言うほど施していったが、外に出なければ、車内や室内は暖房が異常に効いており、暑いとさえ思うような列車もあったのには驚いた。

 第4次遠征(05年7月)では根室本線から富良野線に乗り継いで旭川に出て、旭川から増毛までの直通の留萌線列車で留萌線を制覇して、帰りに深川から札幌まで特急に乗っている。普通列車乗り放題の北海道&東日本パスを利用していたので、この区間だけは別途特急料金と運賃を支払って利用した。わざわざ特急を利用したのは普通の本数が少ない・・・と言うよりないということと札幌からはまなすに乗る前に一風呂浴びたかったから速い特急を利用した。

050815hakodate785ne5  第5次北海道遠征(05年8月)では久しぶりに旭川~札幌間通しでスーパーホワイトアローを利用している。全区間ほぼフルノッチ運転という感じの走りを堪能した。07年10月には789系1000番台が投入され、スーパーホワイトアロー、ライラックの愛称が消え、スーパーカムイに統一される予定だ。30分毎に新しい特急が高速で結ぶことになる札旭間はさらに便利になるに違いない。その一方で同区間の輸送を支えてきた781系が姿を消すのは残念なところだ。


JR石北本線

2007年06月07日 | 北海道

050815sekihoku183okhotsk2  JR石北本線には釧網本線で網走に入り、網走で一泊して翌日網走刑務所などを観光して、午後のオホーツクで全線制覇している。この時はただ乗っただけで何の記録も残っていないが、車内で海の幸がふんだんに入った?オホーツク何とか弁当?を食したのを覚えている。石北本線は山越えの印象がある路線で、いつまで経っても高速化されない前近代的な路線であるが、沿線を見渡すと高速道路の建設が行われており、同線にとっては死活問題となり兼ねない事象が周辺では進行しつつあった。その光景は後に乗った時も同様だったが、高速道路の方も部分的には開通しているものの、こちらの方も道路公団の改革などで北見や網走まで全通という状態にはなっていなかった。それでも何も手付かずの石北本線とは違い牛歩の歩みでも高速化を行っている道路の方が最後には桁違いの利便性を発揮するに違いない。もっとも北海道には冬場の厳しい自然条件という鉄道にとってはありがたい環境が存在するので、石北本線を廃止に追い込むというところまではいかないと思われる。それでも現在より厳しい状況に落ち込むことは十分考えられる。何とか石北本線も根室本線や宗谷本線のような高速化を行ってほしいものだ。

050815sekihoku54504  2回目の石北本線は網走からオホーツクに乗り、北見で特快きたみに乗り換える道中となった。前日に北海道ちほく高原鉄道の乗り納めを行い、北見から石北本線ローカル列車で網走まで行き、網走で一泊して翌朝オホーツクに乗るという行程だった。朝早い時間帯のためかオホーツクはかなり空いていた印象だ。北見からはそれなりの乗車があったようだが、北見で乗らなければ、遠軽か上川に期待するしかないような路線なので乗車率はあまり高くなかったように思う。特快きたみまでの待ち時間を利用して北見周辺で放置されているラッセル車などを撮影して時間を潰して特快きたみで旭川までののんびりした道中を楽しんだ。特快だけにローカル列車よりも足は速く、特急レベルの走りをするが、如何せん線路が悪いので所要時分は長かった。今後の見通しもあまり甘くない石北本線だが、高速化していないという利点もあり、今後まだ高速化できる余地があると思えば、まだお釣りがある状態とも思える。ただ、その高速化の予算をどこがどう補うかが大きな問題と言える。


JR宗谷本線

2007年06月05日 | 北海道

030814soya183risiri  JR宗谷本線には第1次北海道遠征(97年)で全線制覇している。この時は旭川で泊まって、午前中の急行礼文で宗谷本線を全線制覇している。根室本線釧路以東や釧網本線で乗ったキハ54系だったが、急行仕様車ということで少々豪華な造りかと思っていたが、根室本線で乗ったキハ54系も同じように急行仕様の500番台だったので、あまり新鮮なイメージはなく、快速で乗ったのに今度は急行かよという程度だった。もっともその時は今はなきワイド周遊券を利用していたので急行であろうが、快速であろうが、懐の方は何も痛まないのでどちらでもよかった。ただ、学生時代の若き頃だったので、このような理不尽さには常に文句をつけていたように思う。だから国鉄はダメなんだというのが口癖でそれを受け継ぐJRも先が思いやられると某鉄道アナリストのように吠えていたことが多かったように思う。

 急行礼文で北海道の原野を走り、利尻富士などを拝み、日本最北端の地へと着いた時は感慨無量とまではいかないものの、ここまで来たかという感動はあった。稚内ではレンタカーを借りて、宗谷岬やノシャップ岬などを観光して、その日の夜の急行利尻の自由席で札幌へ戻った。急行利尻は結構な乗車率で、狭い稚内駅の待合室は待ち人でいっぱいになっていた。昔はこまめに増結などをしていたので座れるのかなというような心配はなかったが、レンタカーを返してからの待ち時間が長く暇つぶしが大変だったのを思い出す。ちょうどダイアナ妃が事故で亡くなった日だったか、その後だったかで待合室のテレビがそればかりを映していたのを覚えている。但し、そのテレビも20時か21時ごろに見事に消されてしまったのも覚えている。

 2度目の北紀行は第2次北海道遠征(03年8月)で、北海道入りした日に札幌でたまたま北海道一人旅を同じ時期に楽しんでいた友人と出会い、札幌ドーム(外から見物)などを観光してラーメンを食べて、友人と別れて特急利尻に乗り込んで北上した。特急利尻は旭川まではかなりの混雑で、これは眠れないと思いながら眠りに落ちた。学生時代はナーバスだったのか、物音などがするとなかなか眠れなかったが、年をとって図太くなったのか、最近は夜行列車でもよく眠れるようになっている。座席夜行に関しては違った意味で年をとって眠れない場合もある…年には勝てぬ。特急利尻で稚内に着いて、稚内駅でミニ撮影会の状態の中、私も混じってキハ183系利尻を色々な角度から撮影し、駅前の食堂で朝からカニ入りラーメン(かなりお高い値がついていたと思う)を景気よく食して、駅近くを散策して時間を潰し、折り返しお初のスーパー宗谷に滝川まで乗った。名寄までは乗客も少なく快適な道中だったが、名寄から大挙押し寄せてきて、居心地が悪くなったので、席を立ってかぶりつきを楽しんで滝川まで立って行った。名寄から先は最高速度130km/hの高速運転を堪能できたが、高速で走る分乗り心地は少々悪かった。立っていたのだから当たり前と言えば当たり前だが、高速列車は座ってなんぼであることを改めて実感した。


JR釧網本線

2007年06月02日 | 北海道

050814senmo54526  JR釧網本線には第1次北海道遠征(97年9月)で乗っている。根室で一泊して根室本線で釧路へ戻り、キハ54系釧網本線ローカル列車で網走まで乗り通している。本数が少ない同線では途中下車など考えも及ばずいつまで続くのかと思うぐらい長い道中だった。道中で列車が警笛を大きく鳴らし駅でもないところに止まったのを思い出す。鹿か熊か何かわからなかったが大きな動物が線路を横切ったようだった。根室本線の釧路以東でも似たようなことがあったが、北海道らしい光景だったと言える。この時は釧路湿原を実感することは出来なかった。車内が結構混雑していて景色をゆっくり楽しめなかったが、車内からは湿原はわかりにくいのかもしれない。釧網本線は運転本数が少ないせいか、釧路、網走近郊では結構混雑していた。釧網本線にはそれ以来乗る機会がなかったが、05年の第5次北海道遠征の時に釧路での乗り継ぎ時間を有効に使って、釧路~釧路湿原間のみ乗っている。この時は釧路湿原で降りて、近くの踏み切りでノロッコ号の撮影をして引き返している。このとき乗った列車も結構混雑しており、観光シーズンなどは増発は無理にしても増結があってもよいのでは?と思った。場所が場所だけに今後もあまり訪れることのない路線だが、07年春からDMVの試験運転を行っており、乗るのは難しいかもしれないが、どんな乗り物かを見物ぐらいはしたいという気持ちはある・・・しかし何分にも釧網本線は遠すぎる・・・。