■権力の魔力
小室直樹先生は著書「痛快!憲法学」で次のように言いました。
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刑事裁判は誰を裁くためのものか。
それは検察官であり、行政権力を裁くためのもの。
裁判で裁かれるのは、被告ではありません。
行政権力の代理人たる検察官なのです。
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そしてこう続けます。
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近代の裁判では要するに、「検察官や刑事にはろくな奴はいない。国家権力を背中にしょっている連中は何をしでかすか分からない」と考えるのです。
国家権力をもってすれば、どんな証拠でもでっちあげられるし、拷問にかけて嘘の自白を引き出すこともできる。
そこまで意図的でないにしても、誤認逮捕などはしょっちゅう行われているに違いないと考えるのが、近代裁判なのです。
言うなれば検察=性悪説が近代裁判の大前提。
国家は非常に強大な権力をもっているのですから、その権力の横暴から被告を守らなければならないというわけです。
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小室先生は、「検察官や刑事にはろくな奴はいない。国家権力を背中にしょっている連中は何をしでかすか分からない」と言っています。
この意味は「『権力の魔力』によって"人"は(悪いことを平気でする)"ろくでもない奴"になってしまうものなのだ』ということだと思います。
『権力の魔力』は『お金の魔力』と同じで、それに目がくらんで"人"は"ろくでもない奴"にやすやすと成り下がってゆくというのです。(それは"組織"も同じで"ろくでもない組織"になり下がる)
このような前提で裁判は権力側である検察や行政を裁くものというのが基本的な考え方だと言っています。
なるほど確かにこの「検察審査会法」の改正にしても確かに権力をもつ者が自らの権力を更に強化し"ろくでもないこと"をするために行われたのでした。
『権力の魔力』は更に輝きをもって権力者に"ろくでもないことをさせる"ようになる。権力をもつものはもっと強大な権力が欲しくなるという悪循環に入ってゆく。
その先にあるのは「絶対権力」すなわち「独裁」、そう「ファシズム」です。
今、日本はファシズムへの入り口をもう踏み越えていると思います。
●ヒトラーの「全権委任法」を目標に法律が作れてゆく。
さすがに今の時代に単独の法律として「全権委任法」が作られるとは思えません。
しかし、重要ないくつかの法律群を「全権委任法」的に使えるように作り上げられれば、それら法律群によって実質的に「全権委任法」と同じ効力を生むことができるのです。
権力の重要な一つに「人を犯罪者にして、その人の人生を破壊する」ことができる「検察」「警察」の権力があります。
似たような力をもつものとして「国税」等の権力も上げていいでしょう。恣意的に調査し「人を犯罪者」とすることができるし別の目的を兼ねて調査に入ることさえある。権力とは我々にとって恐ろしいものです。
↓
『国税が東京新聞を徹底調査する「理由」(週刊現代)』
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/755.html
このような権力をより確実に行使できるように法律群が準備されていると考えられます。『権力の魔力』が権力の増強を強要する。
取り調べの可視化も骨抜きにされそうです。
これによって権力の源泉である検察の横暴は温存されるでしょう。
↓
『危うし「取り調べ可視化」 冤罪は繰り返されるのか』(田中龍作)
http://tanakaryusaku.jp/2013/01/0006544
『国家権力による情報統制・思想弾圧を目的とした”暗黒法案”「秘密保全法」が延長国会提出へ』
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/ce736c2c01514fef0cc06b32933bdbf3
『「秘密保全法」の怖さを知っていますか?』
http://www.1-lawyers.com/lawyersblog/?p=195
↓
「これって、秘密警察国家ですよね。」
『「秘密保全法制」の検討にあたって会議議事録が作成されていないことについての会長声明』
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120314.html
↓
この法律を作る「有識者会議」の議事録は作成されていないのだという。
法務官僚が勝手に内容を作ってお飾りの「有識者会議」でシャンシャン手拍子で決まってしまう。
これも底なしの『権力の魔力』によって官僚が"ろくでもない奴"になっているのである。
●次ぎに狙っているのは「ネット規制」であろう。
『迫り来る「表現規制」「インターネット規制」の危険性』
http://d.hatena.ne.jp/utopian20/20121208/p1
----引用させていただきます)
○ACTAの危険性
まず、ACTAのひな形となる概念が、2005年のグレンイーグルズ・サミットで小泉首相が提唱して、その後条約文化されたACTA(Anti-Counterfeiting Trade Agreement)は「偽造品の取引の防止に関する協定」と訳されていて、前国会で批准が可決されました。
(中略)
やたら犯罪や反社会的行為とネットを結びつけ、ネットを規制しようと画策している政治家や警察官僚ですが、何故インターネット規制をしたいのでしょうか。
それはインターネットに不確定な情報ながらも「政・財・官」についての個人的経験から内部情報など「ナマの声」が発信され、商業マスメディア上では知り得ない事が多く流れている事、その情報を個々人が世界中に発信できる「表現の自由」の最たる手段であるインターネットがあるかと思います。
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権力をもつものにはジャマなネットに規制をかけようとしているのです。
ACTA条約はバカ民主党の最後のあたりでどさくさに紛れて可決されてしまいました。諸外国ではほとんど反対されているいえわくつきの条約です。
しかし、日本の国会議員達は権力の下僕となっているからか、ACTAの実態を知らないからか賛成してしまいました。
ネット岸の動きはこれから強化されてくるでしょう。
●法律が、表向き「国民のため」と見せかけて実は"裏の目的"をもって作られたり改悪されたりしている。
本投稿の「検察審査会法改正」がいい例です。
表向き目的は、「この制度改正を民意を反映される司法改革の一つ」で、"裏の目的"は最高裁が実質的に起訴権を持つことだったのです。
そして情報の開示は「法」を盾にいっさい拒否するという「密室」で行われる。
まさに「秘密警察国家」であり実質的にヒトラーの「全権委任法法」と同様のことが行われているのです。
これをファシズムといわずしてなにをファシズムというべきか。
日本は今、ファシズムの入り口を超えているのである。