「懺悔道としての哲学」・・・その2・・・この二,三年、すなわち大東亜戦争の初期を過ぎ緒戦の段階より転じた頃、国民は何かしら持っておる力を出し切れず、「これではならぬ、もっとなにかしたい」とおもいながら如何にもならぬ立場に直面し、中腰でそのまま崩れてしまうのではないかと云う感を抱かしめられた。・・・国内にはかかる不合理なものが跳梁しているのである。もちろん我々は為すべきことをしてないが、また不合理を気付きながらそれを如何ともすることのできぬ立場に置かれて居る。・・・しかし如何にすればよいのか、真に正しい方策はなにかということがわからないのであり、従って単に実践的に無力であると言うのみならず、知識においても深く無力をかんずるのである・・(60年後の現在の日本の置かれている状況、現代の日本人の観ずるところと非常に類似していることに驚かされます)。・・・この世の不合理(不条理も)は皆吾々の連帯責任なのである。・・私一人のみでなく総ての人々が良くなればこの世は一層よくなることは明らかであろう。(続)
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