且く差別せば。十善を世間戒と云。沙彌・比丘戒等を出世間戒と云。菩薩戒を在家出家の通戒と云。若要を取って言はば。世間戒も出世間戒も。聲聞戒も菩薩戒も。此十善を根本とするじゃ。初心なるものは。世間戒と聞ては少分なることと思ひ。聲聞戒と聞ては盡さぬことと思ひ。菩薩戒と聞ては高く尊きと思ふ。それは名に著する迷いと云ものじゃ。此十善戒は甚深なること。廣大なることじゃ。
此十善に反するを十悪と云。本業瓔珞經の中に。理に順じて心を起こすを善と云。乖背するを悪と名つ``くとある。此經文に依て善悪の義を知れ。諸戒に推通じて親しき文じゃ。憶念するに随て妙味あるべきじゃ。
身三口四意三の。理に順ずるを十善業と云。理に背くを十不善業と云。理に順ずるというは別のことではない。自ら本性の通り少しも増減なきことじゃ。本性に身口意相応すれば十善自ら全きじゃ。理に背くといふも別のことではない。唯この私意じゃ。私意を以て本性を増減するのが謂ゆる悪じゃ。此私ある身口意を十悪という。佛性は善悪ともに妨げぬものなれども。善は常に佛性に順ずる、悪は常に佛性に背くじゃ。
此十善に反するを十悪と云。本業瓔珞經の中に。理に順じて心を起こすを善と云。乖背するを悪と名つ``くとある。此經文に依て善悪の義を知れ。諸戒に推通じて親しき文じゃ。憶念するに随て妙味あるべきじゃ。
身三口四意三の。理に順ずるを十善業と云。理に背くを十不善業と云。理に順ずるというは別のことではない。自ら本性の通り少しも増減なきことじゃ。本性に身口意相応すれば十善自ら全きじゃ。理に背くといふも別のことではない。唯この私意じゃ。私意を以て本性を増減するのが謂ゆる悪じゃ。此私ある身口意を十悪という。佛性は善悪ともに妨げぬものなれども。善は常に佛性に順ずる、悪は常に佛性に背くじゃ。